このブログと僕について
このブログのポリシーと僕の生き方のそれなりの方向性が決定し、このブログの方向性がそれなりに定まった気がしたので書きます
雇われすぎず、食うために生きない。生きるついでに食っていこう。だって腹減るじゃん的な生き方を発信するブログ
で行きます。
なんでこう言う価値観になったかというと、僕のこれまでの経歴がこのような価値観を僕に産み付けました
要約すると僕が嫌なものを徹底的に避けていくということです
ざっくり言うと
履歴書を極力書かない
応募動機が書けない
面接をしない
自分なりの合理的な世界を見つける
一箇所で定年まで働かない(働けないからだし、働くつもりがない)
人から見下される職につかない
社会的に地位が低い職につかない
自分から下手に出ないといけない職につかない
人を相手に営業の要素がある職につかない
っていう感じです
はっきりいって言葉では抽象的な感じでしか言えません。後は自分が感じた上でいやかどうかを考えます
後は自分の絶対的な領域が職業における上下関係で犯されるということを絶対に僕は嫌います。
まぁ、この時点でほぼ全てダメですね
でもそこに自分なりの一理がある生き方をする、そして発信するということをしていきます
僕がそれを発信することによって生き方で困っている人たちに何かしらのヒントが示せればそれでいいです
■僕にとってブログはただの人生の備忘録
オーストラリアにワーホリに行って帰国した時に気づいたことがあります
それは自分が生きてきた、一生に一度しかないはずのあの時間の保存の仕方が雑だということです
自分がカメラのフレームの中にいない
なんか写真に写るのが嫌いなんです。でもこれからはそれをやめようって思います
自分がしてきたことを記録することでなんとなくの自己肯定感が得られればいいかなって思うようになってきました。あくまで僕のプライベートスペースであり、絶対的な領域当コトロの一つがこのブログという場所です
■今後は34歳(この紹介を書いている時点で)でいかに今までの社会のレールというモノから外れてよりよく生きるかを書いていきます
繰り返しですが、結局は行きにくいという部分は誰しも持っている部分です。
特に昔のバブル期の成功体験を持っている人はそれがスタンダードになっていて、それをものさしにして人をはかってきます
時代に生かされたことに気づかない人たちと時代というモノに殺さそうになる僕らの世代とでは絶対に分かり合えないものです。
特に就職したら福利厚生を得ながら定年までそこに勤めて、セカンドライフで自分のやりたいことをする。その財源は年金というゴールデンプランは正直言って存在しません
なんで体が一番動く時を会社に捧げて体が動かなくなったあとに自分を生きるんですか?
年金も社会保障とかも、セカンドライフが不透明になりつつある今、セカンドもファーストも糞もないんだよ
だからセカンドライフをファーストライフに反映させつつ行きやすい方法で生きていくということを僕は追求していきたいって思います。別にどこかに所属して働き続けるということが絶対でもない
要は法律という大枠があってその中に今までの価値観がある感じ。
でも法律で認められている自由の中にある、職業選択の自由と住む場所の自由は正直言って保証されているけど人の裁量によって弾かれているというのが現実です
まぁ、屁理屈になりますが、
極論という正論を言えば、職業は何度転職してもいいし、59歳と11ヶ月までは職業を選択していいということです
しかしながら企業側から見ればそうではないでしょ?
現実論と正論等物の間にあるズレ、これが人の都合とか最良とかって思っています
正直言ってこれまた正しいです
でもその法律と人の偏見とか裁量と法律で絶対に定められた間にあるグレーゾーンを僕らの世代はふんだんに使って生きていかないとダメだと僕は感じています
昔のバブル期みたいに時代がお金をくれるみたいな感じはない。本を読んだんですが、面接に行くとお金がもらえたということを書いてある本を立ち読みました。(タイトル忘れてすいません)
そしてその人は面接で断りまくってお金を貯めてそのまま海外の放浪の旅に出ます。そしてブルが始めたくらいに資金が底をつき、面接に行ってお金を貯めようとしたら交通費すら出なくてびっくりしたとか書いてあったから笑いましたね。こんな時代があったなんで驚きです
とはいえストレス社会
会社組織は正直言って変な洗脳をされていて正しいはずの正論や主張は通りません。特に台風で利益なんて見込めないのに働かせて社員が命の危険さらされるし
後は職場の人間関係は空気を読めとか、なんとなく言わせたいことを言わせるようにほのめかして相手に言わせるという風潮があり、ずる賢い社交性のない僕には正直勝てない相手が多すぎるんですね
(ほのめかして相手から引き出すことで優位に立つみたいな社交術に僕は同対抗したらいいかが未だにわからない。相手の口から引き出させることが上手い奴を論破できたらなってほんとうに思う)
35になったからもうヤングハローワークに相手にされません。
雇われすぎず、食うために生きない。生きるついでに食っていこう。だって腹減るじゃん的な生き方
その過程を発信するという趣旨です
仕事という枠の中に自分の生活というプライベートの部分をない方させないという生き方、それで当分は行きます
どうせ人は生まれたときあら死ぬという運命を背負っているのでそれなりにはっちゃけていこうぜ的に生きるみたいなことを記録として残します。
だって、台風とかめちゃくちゃだし太陽の活動もとまったって言うじゃん?
宇宙が疲れてるっぽいから休もうぜ?
では
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