ダーウィンの街の歴史!日本人があんまりいない町!ワーホリで唯一日本人に会えなかった場所

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どうも、オーストラリアワーキングホリデーから帰国して人生初のワードプレスでヒーヒー行っている島田です!!

今回は今だにかけなかった「ダーウィン」(Darwin)の街について書こうと思います!ここは一日だけしか立ち寄らなかった場所ですが意外な事実を知った場所なので書いていきたいと思います。

 

僕の現状としてはワーホリから帰国して英語を使うという仕事に就くことができずに工場派遣をしています。ワーホリで仕事探しの辛さを経験したことからなんて日本はいい国なんだろうか?という実感はあります。オーストラリアは確かにいい国なのかもしれませんが、それは生活の基盤という収入が得られればいい国なのかもしれませんね。

 

・仕事のすくなさ

・求人はあれども学歴の問題とスキルの問題

・移民とOZたちの格差と差別の問題

 

人種差別の少ない社会が実現してはいる国ですがそれなりにはびこっているのもお事実です。特にシドニーではこれはものすごくあるようですね。アボリジニはパフォーマー以外は立ち入り禁止だし・・・

 

まだまだ挙げればきりがないですけど、仕事につくという簡単さは世界一だと思います。

 

派遣に登録しさせすればすぐに嫌なものだろうがなんだろうが仕事に就くことができるというものすごくオーストラリアに比べれば楽な国に思います。

 

日本って選択肢は多いですよ、海外に比べれば。

 

でも、全部手に入れることができるという反面、望まないものが手に入る事の方が多いと感じるのは僕だけでしょうか?

 

派遣という立場を選んだということは「何も望まない」ということを選んだ結果ですが・・・でもニュージーランドワーホリと田舎移住のためにやめやすい仕事を選んだということなので、ある意味「望むものは手に入った」ということです。

 

さて、話がしんみりしてきたからダーウィンの話に行きましょう!!



 

 

 

◆ダーウィンは熱帯機構の町。砂漠から来ると少ししんどい

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ダーウィンは熱帯性気候の小さな町。移民もアジアン系の人たちが多く、日本人だとしてもすぐに馴染めると思う。空港から街までシャトルバスで20ドル程かかるけど、これがないとしんどい(^^ゞ

 

でもアボリジニたちはかなり穏やかに暮らしている。ここら辺が僕にとってはとても好きな部分です。人懐こいアボリジニたちは、これが本来のこの人たちの正確なのかな?って思いました。

 

かつてパースにいたときはあらくれたアボリジニたちが金曜日に白人たちを襲っていましたし、僕が住んでいたバックパッカーで同室のドイツ人がバックごとおアボリジニに荷物を盗まれたこともあった。警察もそれほど真面目に操作なんてしないし、アボリジニたちを追求してもじつは仕方がないようだ。言葉自体が全く通じないから。

ある意味OZたちがもっと尊重するべきと譲歩をしないといけないのでは?という部分もある。迫害に近い部分もあるのも事実。アボリジニ英語を教えるということはID(アイデンティティ)を奪うことでもあると思う。アボリジニであるということは英語を使って生活することではないから。自分が自分であるためには、あボリジという尊厳を保つためには?

 

やっぱり英語ではない気がする。日本語喋るから僕たちは日本人だしね。

 

◆じつは第二次世界大戦で日本はダーウィンを攻撃していた

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上の写真は日本軍の空襲によって壊れてしまった協会の跡地。

 

ダーウィン爆撃は1942年2月19日の最初の空襲が最も大規模な空襲で、ポート・ダーウィンの海軍基地と空軍基地を攻撃した。オーストラリアの艦艇だけでなく、アメリカの艦隊も少し攻撃した。
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ちょうど真珠湾攻撃のあとにオーストラリアは日本に対して宣戦布告をした。この時期からオーストラリアと日本は戦争を始めていたんだね。こんなことは歴sでは習わない。あとブルーム、パースも攻撃している。ジョンマッカーサーを追ってきたときに攻撃したし、多くのOZをも殺してしまった。

 

壊れる前はかなり綺麗な協会だったし、この地域の憩いの場でもあった場所。

 

意外に話はそれるけど第二次世界大戦で日本兵が一番殺したのはアメリカ人じゃなくてフィリピン人だしね。マニラ市街地戦でフィリピン人をかなり殺している。こういったことに気づけたのもワーホリでオーストラリアに来たことで、ダーウィンに立ち寄ったから。

 

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蒸し暑かったけどすごく僕的にフィーリングの合う街だったことは間違いない。あとは仕事があればな・・・っていうところが本当に惜しい。小さな街だし、台湾人が結構永住目指してYHAとかで働いているから結構仕事の競争、特にコミュニケーションにおける英語の能力はかなり高いものがないと話にならないかもしれない。

 

あとはKakadu国立公園内とかのホテルに行くしかないかもしれない。シーズンが短いから結構しんどい。あとはマンゴーピッキングが主な仕事になると思う。意外に時給はNTということで高いのもダーウィンの魅力。でも求人お絶対数がないのもの覚悟しておくこと。

 

ちょうどミクシーにこんなコミュニティを見つけたのでいろいろ探してみないといけないな。⇒ミクシーのダーウィンの仕事探しコミュ

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もともと聖堂だったらしく、ここでは賛美歌がよく歌われていてよく休日では賑わっていた。そんな時に日本軍の空襲がその楽しみを奪ってしまった。

少し日本人として罪悪感を感じた・・・

 

ダーウィンの街は結構小さく、直ぐに回れる

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個人的に珍しい、安保りじなるアートがあるので見ていて飽きない。

 

色々なめづらいしオブジェがあって好きなんだけど・・・小さいからな・・・(^^ゞ

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こんな感じでトロピカルな気からねずみさんこんにちはしたり熱帯的な気が結構あります。グルメは・・・僕はYHAnoパンとかで我慢してしまったためにその写真がないですね(^^ゞ。グルメに興味がないという硬派?というよりかはさみしいワーホリになってしまっているのが今の後悔です゚(゚´Д`゚)゚

 

そして未だに意味が分からないこの写真

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なんか日本のニュアンスってなんなのかがわからない・・・・

街のギャラリー風写真はこちら

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ちょっと見づらいけどこんなになりました。

 

緑が多くて過ごしやすい!

 

街を歩いた様子はこんな感じ

そしてコノ後、一時帰国からシドニーに行き、奴らとの?インド人たちとベッドバグとの三つ巴の戦いに赴くのでした・・・

 
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