オーストラリアワーホリ⇒帰国からの鳥取の地方移住の記録!改

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さて!ワーホリ帰国からの日本の田舎で移住して暮らすということを企んでいる島田です!スキー場バイトの方は急遽僕の方で葬式が入ってしまったために急遽、埼玉に帰っています。これはまだシーズンが地味に残っているので完全な下山ではないので、シーズンが残っているならまた大山のスキー場に戻ります(笑)

さて、スキー場は既に雪がなくてバタバタクローズしている状況。おそらくGWまでやっているというところも
そこまでできないと踏んでいます。本当に異常なシーズンでしたね(;・∀・)
そんな異常なシーズンでなぜか鳥取のスキー場を選び、無理を言って日南町の農業研修生の面接に行かせてもらったという
異常な?行動をした結果、晴れて四月から鳥取県の日南町民への内定を獲得しました(笑)流石に山の中から面接に行くのはキツ!って思います。でもやったしね。
なので田舎への移住のプロセスを僕がたどった事実を書いていきますね!流石にスキー場で働いていた時ではそれほど更新ができなかったので、かけなかった部分や抜けていた事実などを見直して体型建ててまた書いていくぜ!なので

 

 

 


 

・日本の田舎への移住するかどうか迷っている人

・田舎への移住を決めたけどどこに行くかを迷っている人

・鳥取県に移住すると決めたけど鳥取のどこに移住するかを決めかねている人


 

 
へ何らかの道筋を示せたならさいわいです!

んじゃ書いていくよ!!

◆まずは何はともあれ住む場所よりも自分が自分でいるために必要なあり方をしっかりさせること

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基本的にバックパッカーの人たちも自力で移住をしています。その人たちは旅慣れしているので自分自らの足で
その地に行き、自分のインスピレーションでそこに住むのかどうかを決めています。
僕自身もそのようなことをしましたが、まずはなんで

田舎なのか?

 

というところから考え始めたほうがいいでしょう。移住に失敗してすぐに帰ったという人の話も結構ありますからね。
NAVREのまとめ記事とかを見るとよくわかります。
でないとその土地に来た意義やそこで生きていくというための理由、あとは自分がその土地で自分足り得るのかどうか?
という生きる上で根本的な理由とその土地での困難を乗り越えるモチベーションがない状態ではすぐに折れてしまうから。
目的の達成をその土地でするには?と目的を達成するにはその土地でなければいけない理由がないなら田舎移住はしないほうがいいと思っています。実際に僕は鳥取県の日南町というところに農業研修生で内定が決まっています。僕のリアル職歴も書きますけどドン引きですよ(笑)

 
こんなどあほうでもいけるんだ・・・(;´Д`)ということが分かってもらえればなにかしら励ますことができると思うから。

 

 

ではあり方って何?っていう人へここらへんの僕の「あり方」を書いていきますね。

◆会社で働くのがやっぱやだ

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もともと介護大手の「コムスン」というところに大卒の記念すべき就職を果たした僕でした。しかし世間を知らない僕はその会社が当時、派遣労働者の給料のピンハネをしていた「グッドウィル」という会社の子会社で介護保険の過大請求ということをした会社で裁判を起こされて訴えられているということまで知りませんでした。
エントリーの期日を過ぎて応募してもうかってしまうくらいぐたぐたな会社でしたからね。でも介護になぜか燃えていた僕はその会社に行きました。そして代々木のオリンピックセンターというところで大卒の洗脳という名の研修が始まっておかしいところが満載だったのを覚えています。

 
会社の利益を出せとかコムスンの誓いとかを本当にやらされましたからね。

 
そして北海道の職場に配属されて最初のトラブルに遭遇します。

 

 

まず研修分の時給と航空券代と交通費が入っていないというトラブルに遭遇します。しかも周りの諸先輩は夜勤に入ってもその夜勤手当が入っていないという事件に遭遇します。僕は当時怒り狂っており、仕事そっちのけで毎日コムスンの人事部と電話していました。
そして5月の後半の時に人事部の人とにマジギレします


 

僕 「いい加減僕の大卒の研修分の給料と交通費の航空チケット代と周りの先輩の夜勤手当はいつ振り込まれるんですか?(`・ω・´)」
人事部 「その件につきましては来月にまとめて振り込むということですけど・・・」
僕  「その来月が今月でしょ?」
人事部 「・・・その分は夜勤を入ったら稼げると思います」
↑これは本当にあったこと!!当時の僕はこれで切れました

僕 ムカついて電話を切ってホーム長に一言

 

「俺辞めるわ」

 


 

入社1.5かげつでの出来事でした。

このことから何かしらのトラウマが芽生えたんでしょうね。このあとは日雇い派遣の音楽イベントのステージ設営、教科書販売、引越しの荷物持ち、交通誘導員を転々として、冬になったらスキー場で働くというサイクルで生きるということになりました。今思えば介護を辞めるという必要はなかったんですけど今はすっかり同じ建物の中で働くって嫌だということに気づいたから
やる気なしです。

この時は23歳の時で何かしらの引き金がここでできたんでしょう。
このあとは住み込みで働いたらお金が貯まるという麻薬の味を覚えたという感じで住み込みのバイトでお金だけを貯めていくという価値観でしかも引越しを結構するという典型的な引越し貧乏になっていきました。このあとは派遣で登録しておけば仕事が入ってきたし、履歴書の応募動機が書けない、というよりかはそれから逃げていたんです。
生活するということが楽に感じてしまったんです。でもここからが自分の本当にやりたいことを探さないことには息苦しいということに気づいていかなくてはいけないということを思い知る生き方になってしまっていました。

あとは会社は何をするにも許可が要るのでそれに対してもストレスでした。
この時はなにかしら固定の収入源が欲しいという漠然としたものがあったんですがそれがはっきりとは見えずに悶々と過ごしていました。

◆ニート⇒ボラバイト⇒ワーホリの流れ

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当時は北海道で生活していて、スキー場の生活にも疲れ果て、何もしたいことがないので何もしないという生活をしていましたが、貯金お残高がなくなるにつれて働かないといけないという義務が脅迫になってきていて、履歴書の応募動機まで書いていくんですが、この欄になると何も書けなくなってしまって、一日中履歴書の前で頭を抱えているというのはざらになるというレベルでした。
そしてもう一度介護やって確かめてみようということでグループホームに行きましたが料理が嫌いということが分かり、結局入居者と仲が悪くなって辞めさせられました。
ここらへんで派遣で働くということが嫌になってきていました。

 

その後は実家に戻り、友達が青年海外協力隊に行き始めて、「俺も行く!!」とかいきり立っちゃって春と夏を応募しました。もちろんこの間は無職です。図書館で英語の勉強をしていました。

 

まぁ、英語力はブログでも書いたとおり、320⇒330天にしかならないという逆ミラクルということをやってのけました。
せっかくニートをしながら勉強していたにですよ!?
まぁこのいきさつは鳥取に行く前に僕のリアル履歴書とかいう記事でも書いて晒すかもしれません(笑)別に影響なんてないから・・・その後は北海道の稚内の酪農家のところへなんで知らないけど行きました。今思えば目的なくフラフラ行くのは失礼ですね(;´Д`)

 
でもその時にコメ農家の過酷さを教えてもらったんですね。コメ農家は収穫という現金化のチャンスが年一か二回しかなく、台風が来ると一発でダメになる。しかも10KGのコメの袋をつくるまでに必要な土地の広さが半端ではないこと、減田(字はあっているのか?)という国策レベルで頭打ちになっている。

 

 

あと高度経済成長機に日本がアメリカに工業製品を輸出するその代わりにアメリカの農業作物を輸入するという条約の影響もあり、海外に輸出できれば日本の農作物は強いんですがそれができません。病気の問題もあるしね。
話を酪農家に戻して、ここの人も酪農家なら牛乳を一ヶ月絞ったら月給になるからそっちのほうが安定してるからコメ農家を
やめたって言ってたのが印象でした。確かにそれってやだなって思います。借入したお金も返すし・・・
三ヶ月でしたが酪農家は牛に拘束される時間が長く、一世一代でやるにはあまりに土地も初期設備への投資額も膨大になってしまうのでやめました。

 

 

 
あとは一回口蹄疫などの病気で出る損害がハンパじゃないということ。ここらへんでしょうか

 

 

そんな中でその酪農のバイトも終わり、フランスにバックパッカーの潜りの仕事をしたあとにオーストラリアの
ワーホリに行きます。本当にギリギリでキャンプ場の住み込みのバイトでいきましたからね。

◆ワーホリから帰国してからやっぱり諦められなかった自営という道

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さて、オーストラリアで出会った人たちは皆、一世一代で会社を作った人たちでした。しかも倒産を何度化経験しているという
強者たちでした。

その影響か帰国したら自分で雇われずに生きていきたいという思いが芽生えました。しかし何をしていくのかという
ところがかけてしまっていて悶々と貯金をしながら過ごしたことを覚えています。
帰国してからは一通り経験しましたよ?
・せどり

・アフィリエイト

・バイナリーオプション・・・
・もちFXも・・・

 

 

ネットビジネスと言われるものはかじってきました。一年ほどせどりをしていましたが、部屋にある在庫の数が嫌になり、古物営業許可証を取って古物市に仕入れに行くも気持ちが続かずに断念。その後はワーホリのPDFを売ればいいのでは?とかおもったりしてPDFを作ったけど全く売れずに頓挫・・・・チーン
そして金も底をつきやむなく工場の派遣に7ヶ月ほど行くことに・・・

◆NC盤の操作が嫌い・・・

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はっきりいってつまんなかった・゜・(ノД`)・゜・
この時にもともと頭の中にぼんやりとあった「田舎暮らし」というものにテキトーに触れてみようと思ってきた。
東京の移住交流センターとかの移住セミナーに行ってみたりした。そこで鳥取と島根が何故かいいなっていた自分がいたんですね。

結局九月でやめることになりました(笑)
働いているときは苦しくて、部品を設置してその日の作った部品の個数が多いか少ないかで評価が分かれる。なんか正社員の話が来たけどソッコー話をけった自分が、「やっぱりここにずっといたくない」という心の率直な叫びをあげていました。

 
派遣コーディネーターが給料のタイムカードをとりにこず、謝りもしないということも派遣で働くべきではないというアイデンティティーが生まれました
数学が嫌いでXYZの軸というものが出てきて、上司の「機械は間違わない、間違うのは人」という哲学も心底嫌いだった。
ここで働いている最中のお盆と九月の長期連休で鳥取と島根に行ってきて、鳥取に決めました。インスピレーションでしたね。
あとは半エックス半農という兼業のスタイルが盛んなところだったから。
止めにオーストラリアの影響で

 

 

・アウトドアアクティビティ

・砂漠

・ラクダ

 
という僕の心打ちまくった要素が目白押しなのですぐに決めました(笑)
やっぱり自分で自分の給料は決めたいし、派遣で生きていたらコーディネーターの都合でしか生きられません。
流されて生きるより、自分が自分であるためには?ということを追求して生きて生きたいし、人に許可を求め続ける生き方は我慢なりません。

◆自分が自分であり、給料は自分で決めて生きていくには?

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本当に現実見ていない人ですね、僕って。農家だって本当に厳しいのに(´Д`;)
あとは一国一城の主という響きも捨てがたい。こういった願望を持ちながらも金も、コネも、ノウハウもないという逆境三拍子がきれいに揃ってしまっている私。おまけに履歴書も人生を積みかけている・・・

 

そんな僕が掴んだチャンスは「地域おこし協力隊」でした。

 

農家として自立するために整った研修制度や地域での移住者へのフォローが充実しており、研修先ももともと研修生だった人が受け入れをしていたり、出来な時から今のできているという時間軸を経験しているので目線も近いです。だから教わっていても、役場の農業指導者のフォローや指導も手厚いです。

 

過去農業だけでは44人が就農して未だに定住しています。これだけの数字を把握している自治体はまずないです。

 

結局僕には何かしらの新しい技能が必要ということです。自分がありたいというあり方は「人から指図をされない」という生意気なものです。

 
有給休暇をとるにもお願いしなくてはいけません。
退職するにも退職願を出さないといけません。
お願いばかりして許可をもらうというスタイルはイヤです。

 

 

そういった生き方をやめて自分が思う生き方ができるかもしれない可能性は日南町の地域おこし協力隊の農業研修生だったということなんですね。
まぁ、僕の気も変わってきていて、最初は岩美町というところが良かったわけですよ。海がきれいだし、スキューバダイビングもすぐ出来て、たまり場になる予定の龍神荘も近いし(笑)
でもこの街は鳥取に働きに行くためのベットタウンというというような感じなんです。これってあんまり意味がないんですよ。ローカルで働くというオーストラリアのワーホリの時代のものが僕の中にあって、通勤に使っていい時間は10分までです(笑)結局鳥取に働きに行くなら地方移住という僕のカテゴリからは外れます。僕が求めるものではないからです。
農業であれば個人事業主の扱いなので僕がやりたいと思っている体験農家やFXでの投資、古民家の改造の過程をユーチューブで発信したり、
冬場は狩猟のマタギのアカデミーでもしてみたいと思っています。

多角経営というモノに憧れているのでまずはここへチャレンジするための土台を作るということから始めます!
なので今後の展開としては田舎に引越ししたいけど仕事や収入をどうするのか?という部分へ僕の体験を赤裸々に書いていきます。やはり情報の提供をしているだけよりも、背中を見せている方が説得力あるから。

 

 

一度きりの人生、その中で自分のあり方を見失ったまま生きるのは辛く残酷なものだと思います。

 

 
僕が鳥取で生きていけるのか?
農家として生きていけるのか?

 

 
地方で暮らすには何をどのようにして収入源を作っていけばいいのだろうか?ここを重点的に書いていくし、重点的に気にして生活をしていきます。僕が暮らしていく日々や毎日がこのブログを見てしまっている

 

 

あなた!!

の田舎への移住、ワーホリにいこうかどうかを迷っている、活帰国後の選択肢に悩んでいるというあなたなら
参考になるし、ひとつの行動を起こすきっかけになるということを祈って日々を生活していきます!

では、告別式も終わったので運命の四月一日(エイプリルフールですが・・・)に向けて動いていきますよ!
なんかお遍路参りは・・・日程的にできないという様相を呈しています(´Д`;)

乞うご期待です!!

 

 

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