I'z log ~イズログ 人生をイージーモードに

雇われすぎず、働きすぎず、食うために生きない。生きるついでに食っていこうよ。だって腹減るじゃん的な生き方をするブログ

【在り方】自分の在りたい姿、在り方は他人に決められるものではない。かと言って直ぐに自分でわかるものでもないから難しい

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運命が、自分の異現状が多少は変わるかも知れない?TOEICのテストと英検2級のテストがとうとう来月に迫っています。そしてしょっぱなは英検2級から行きます。

 

6/2日に試験会場へ行きます

 

でも不安なことが一つ

 

僕はリゾバで長野のスケートリンクの製氷のバイトをしていますが、この派遣会社から届くはずの健康保険証がなんとクロネコヤマトのネコポスで解けられており、どうやら紛失が確定した模様(笑)

 

特定記録郵便とか本人に必ず届くような配送方法をとっていないんだな、リゾバの会社って。健康保険ひかれてても保険証が手元にないっておかしいよ。結局大和に電話して探してもらってるけどでてはこねーな、健康保険証は(笑)

 

っていう感じでなんか働くといいことないなーなんて思っている今日この頃な、イズです

 

 

今回は自分も今ぶち当たってなんとなくの方向位進み始めている段階であり、まだ確立できていないことがあります

 

 

それが

 

自分のあり方です

 

 

あり方ってそもそもなんでしょね?

 

 

よくIDって言われるますよね?

 

 

自分の証明ってやつ。これってなんかありふれてるけど一番大事な自分の書くってやつっと思います。これがあるかないかで自分の軸を基準として判断できるから、生きることが楽になると思います。特に無理やり「付き合わされるということ」がなくなるし自然と断ることができると思います。これ、結構苦手な人たちが多いですよね

 

僕も結構ここらへんがもうぶっきらぼうになってきて自然と僕からも相手からも切るし、切りつ、切られつという感じの関係になってきています。正直言って袖触れ合うも多少の縁、っていうことは言われますが、これって別に縁って言うほどでもないです。

 

それがきっかけでしかなく、それ以上にその縁を紡いでいくかどうかは自分で判断したほうがいいです

 

 

なんか僕はどんどん擦れていると言われれそうかもしれませんが、自分にとっての正しいと思える何かに向かってきているので人間関係は全然ドライになってきています。

 

 

人間関係を断捨離できれば楽ですね

 

 

そうするとなんか静かになるんですよ。携帯がならない、他人に拘束されない。特に僕が忌み嫌うことは「ちょっと来てくれる?」って言って呼ばれるって嫌いです。そういう時はまず相手になんで呼び出すのかを聞きます。その理由や目的を隠すのであれば無視してそのままです。

 

 

たいていこういう理由を隠すのは、それを先に言うと断れるから隠すんだよねー。そんなことに気づくのすらごく最近になってからだ。

 

 

さて、長い前置きになったけども「あり方」に関して書いていきます

 

もう他人を納得させるための理由とか根拠を作るのはやめたら楽になると思います。僕にもそんな経緯があるし、それを交えて書いていきます

 

 

 

■在り方・・・これは自分軸とか言われるけど、これがあるとほんとに楽。でもこれを他人が決めつけてくるから決めつけられてはダメ

 

 

まずは、正直な箸を言うと、「在り方とは」とかでネットを検索していうる時点でダメでしょう。自分のあり方なんでネットの上に転がっているなんていうわけないから。こればかりは自分で自分のなかにある自分を見つける必要がある。

 

在り方=自分はどういう人間かということを自分で決めていいということ

 

もちろん世間一般論としての「在り方」や「有り方」というもある。けど一般の人はこれらを混同して混乱していて、切り分けていないので、それらを押し付けてくる、これを交わすのに苦労する。

 

 

僕の経験としては、若い頃、ツアーコンダクターに応募したことがあった。

 

その時、前職は介護をやっていたということから、「介護をしていた人はホスピタリティがあるからツアコンはぴったりですよ」としか言われなかった。まぁ当たり前だよね。あっちは人を欲しがっているから褒めちぎって入れることしか考えないし、いろいろ履歴書を出してフラフラ落ちたり内定断ったりしていると、人となりよりかは経歴で人は判断される。まぁ、これも当たり前。その人となりを見て信じてくれるなんて親くらいだろう

 

そして「有り方」っていう言葉の意味としては、評論家が制度を批判するときに使ってたりするけど、この言葉の意味としては「本来の姿がある」という意味があって、それに縛り付けるような感じで、「こういう趣旨で作られた制度なんだからこうでないといけないでしょ」っていう感じの批評してくるでしょ。これが危険ですよね

 

この危険性としては当然こうだろ!っていう感じで相手や対象を固定してしまうと思うんです。要はその対象を理想化してずっとそう言うふうにしてしまうっていうことです。

 

ただこれと人の在り方って違うんですよ

 

 

例えば、思春期の女の子がいたとして、最初はジャニーズが好きだったとする。でも高校とかに入るにつれて次はなんとなく韓国系のKポップが好きに会っていったり、ミスチルとかほかのアーティストが好きになっていくっていうことはごく自然のこと

 

 

好みの移り変わりは自然だし、その人の状態や環境だって変わる

 

 

さっきのことを例にすれば、君はジャニーズが今好きだからずっとジャニーズが好きでないといけない。そうあるべきだと言われているようなものです。あくまで僕の主観ですよ。

 

 

僕の場合は履歴書出してなんか君は経歴が合わないねみたいに落ちてきたばかりだから。もちろん僕の履歴を見ればわかるとおり、ひとつのところに入れなかったから、「こいつすぐやめそう」っていう印象を与えるのは仕方ない。実際に辞めるつもりで仕事は選んでたしね。

 

これが僕のあり方なんだよね。ひとつのところにいたら直ぐに飽きるし、フラフラしてる方が楽しい。でもなんか活動拠点みたいなものも欲しい。最初はフラフラだけしていたかった。でもその拠点があればフラフラするのがもっと楽しいだろって

 

自分の移り変わりってあるんですよ

 

気分でもその時の自分の自己実現させたいこととか。

 

でも世間の一般的な「有り方」っていうのは人が移り変わっていくことに関しての柔軟性をすべてむしり取ってしまうんです。他人がその人のあり方を決めれば、それを決めた人がその人を扱いやすくなるでしょ。そう言う事だろうなって思っています。

 

 

制度や物のようなものの「有り方」に関してはそれ本来のうんやらえんやらってありますよ。趣旨を決めてそれに肉付けしていくようなものだと思いますから。

 

 

ただその「有り方」というものの正当性のようなものを人に押し付けているし、それが正しいことのように僕は感じてしまいます。それでいてなんか都合がいい裁量のようなものがある。

 

 

気分変えてもいいけど仕事かえんぢゃねぇみたいなかんじ。転職は裏切り者扱いだからね。別に裏切るとかそうでないとかまでそう言う人と僕は仲良くなってないんだけどね。僕の感想としては(笑)

 

 

 

■なんか世の中感じがらめが多いよね。そもそも「無常」が基本でないの?って思う

 

 

自分も誰しも変わっていくと思います。それは小学校から中学校、高校に行って大学に行くか行かないか。

 

学生から社会人と呼ばれる人になり、その中で最初に就職した会社の一員で有り続けることを選ぶかどうでないか。いろいろなステージや経験をしてそこから新しい「こうなりたい」「ああしたほうがいい」とか影響を受けることによって考えが変わってくるんですよ

 

会社やめたとき、大卒の時だけ引き止められたことがあるけど、その会社にいたくないっていう本当の理由からは引き止める側は目を背ける。自分の希望的観測のような都合を相手に押し付けてくるのがうざったかった。人が自分の都合で生きてくれるなんてないでしょ

 

 

そもそも本来の・・・ってあるのか?

 

 

だってこの段落のタイトルにいれた「無常」ってあるでしょ?

 

人も人の在り方も「無常」なのにそれを固定したがるのが人なんでしょうね。

 

 

暇と退屈の倫理学という本がありちょっとそこからの引用させてもらいます。この説がすごくわかりやすく書いてあるし、しっくりくると思います

 

「<本来的なもの>は大変危険なイメージである。なぜならそれは強制的だからである。何かが<本来的なもの>と決定されてしまうと、あらゆる人間に対してその「本来的」な姿が強制されることになる。本来性の概念は人から自由を奪う。
それだけではない。<本来的なもの>が強制的であるということ、そこから外れる人は排除されるということでもある。何かによって人間の「本来の姿」が決定されたなら、人々はそれが強制され、どうしてもそこに入れない人間は、人間あらざる者として排除されることになる。
例えば、「健康に働けることが人間の本来の姿だ」という本来性のイメージが受け入れられたなら、さまざまな理由から「健康」を享受できない人間は非人間として扱われることになる。これほどおぞましいことはない。」

 

暇と退屈の倫理学より引用

 

 

本来の・・・っていうものは感情を持たないものに対しては使っていいって思うんです。

 

これは繰り返しになりますが、ただ絶対に言えることは人を理想化することで(本来のっていう言い方で)相手の在り方を限定するというなことって相手の在りたい姿やその人自身を侵害してしてまうし、何よりその人の性質を他人が決めてしまうっていう気がします。

 

これは絶対に嫌だし、誰でもそうでしょ?って思う

 

そしてこれは理屈ではないですよ

 

 

また例え話ですが、あなたがタバコを吸う、愛煙家だったとします。そしてそのタバコをしつこくやめさせようとする人がいるとします。でも体に悪のはわかってはいるけど俺はこれでいい、肺がんで死んでしまったって文句はない。税金だって払ってるし、そう言うリスクはもう織り込み済みだと。だからうるせーよっていう感じになると思います

 

方やあなたに禁煙を押し付けてくる人は理詰めでなんで体に悪いのに吸うんだと正論で固めてきます。

 

特に何で責めってよく人はやりますよね?

 

でもそんな人に説明して、そんな人を説得して、納得させる理由なんてないですよ。

 

そう有りたいからです。

 

 

自分のあり方ってそんなものです。

 

ちょっと長すぎるのでこれで切ります

 

 

次回は僕が今なんとなくぼんやりと今の自分の在り方にたどり着き始めてることについて書いていきます!

 

 

自分のあり方について考えるには哲学と刺激だ↓

 

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  • 大分の先輩 より:

    確かに
    「人間は本来こうあるべきだ」って
    おかしいよね

    でも
    タバコの話にちょっとツッコむけど
    (イズの意見に反対ってわけじゃなくて
    大体の部分ではほぼおおむね「うん、その通りだよね」って思ってるから・・・)

    もし
    たばこをやめさせようとする理由として
    「副流煙がこまるんですけど・・」って言われたら
    どうする?

    たばこをやめさせようとするのは
    あなた(たばこを吸う人)のためではなく
    わたし(たばこを吸わない人)のためって
    いうことだよね

    ほかにも例を考えてみたんだけど
    全然違ったらごめんm(__)m

    たとえば
    電車に挽かれて死のうとしている人がいて
    それを止めようとする駅員がいたら

    駅員の止める理由は

    「あとで掃除するの大変なんですけど・・・
    っていうかそれよりも電車が止まったら
    ほかのお客さんにいろいろ言われるのめっちゃ困るんですけど・・
    だから、死ぬのは勝手ですけど、死ぬなら違うところで死んでください」

    ってな感じになるんじゃないかな?

    タバコの話も
    自殺の話も
    まとめると
    「あなたがどうなろうと知ったこっちゃないけど
    わたしに迷惑がかかる(かかってる)んですけど
    それ、あなたわかってます?・・・わかってないですよね?」

    みたいな感じだと思う。

    勘違いしないでほしいのは
    イズが誰かに迷惑をかけてるって言ってるわけじゃないからね

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