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雇われすぎず、働きすぎず、食うために生きない。生きるついでに食っていこうよ。だって腹減るじゃん的な生き方をするブログ

【生き方】34歳からの生き方を変える 自分の中の生きにくさを考察してみるその2 僕の結論と明確化と今後

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さて、みかんアルバイターの応募が待ちきれずに実はJA西宇和に問い合わせしてしまった(笑)

 

 

ただ今日の文章は病んでいます・・・・

 

 

 

時期は夏場でそのときになったら速攻で応募の履歴書送るという決意を既にしました!

 

 

さて、これは自分が自分を知るためのアウトプットでしかなく、それに興味がないという人は右上のブラウザのバツを押すかすぐにネットサーフィン始めてください。

 

 

でも生き方に困るというか自分がなんか譲れないものとか、そう言うものがあったり、でも世間体に打ちのめされたりとか・・・

 

 

自分で自分がわかっていないとそう言う目に遭うんだけど生きるに、特に僕の場合は仕事というものでずっと困ってきました。

 

 

 

気づけば34か・・

 

 

 

正直な話を言えば高校からそんなに楽しいことがない。

 

 

ワーホリが1番輝いていた時代で一番行きやすい時だったな。

 

 

でも海外に行ってやはり日本が一番イイって思って日本に住んでいます。短いショートステイ的な海外の旅行は行きたいけどそれ以上はもういいっていうかんじ。

 

 

バックパッカーになろうと思っていたけどそういう人間では僕はないっていうことに気づいたから。

 

 

そしてなんか前回もこんなことを書いたような気がするけどそれらをもっと具現化できた感じがしたから今書いています。完全に自分に向けた記事なんで読む人は読んでみてください

 

■僕が感じた生きにくさ。「含み」を僕は使いたいタイプの人間である

 

 

この意味不明なことなんだけど、なんかようやくぼんやり僕が感じているストレスの正体が分かってきた。

 

 

それは、「含み」

 

 

なんなのかといえば

 

 

特に僕は転職の回数が多く、ずっと一箇所にいられないです(^_^;)

 

基本泣き言だけどかくわ

 

 

その【含み】とは・・・

 

法律⇒職業選択の自由は保証されている

 

でも実際は・・・

 

ただ転職の回数で人は人にレッテルとかをはる(当然だけどね)

 

 

僕の感覚では、法律の外枠という絶対の決まりの枠の中に小さな資格があり、それらは人の偏見のような、もので出来上がった価値観がある感じ。その中にあてこまれるのがいや

 

 

そしてこの価値とも偏見という取れる何かによってこちらが本来取れるはずの選択を目隠しされるかのごとく隠されているからこそ「知らない」という状態で世を渡る。これが世間一般っていう感じです。

 

 

例えば、開業届なんて自分でもどうやって調べたのかわからないけど気づいたら税務署で書いたもん。こう言うものを知りたいって思う。

 

 

確かに法律上、労働力⇒労働商品とみなされるのは60まで。そしてそこにまでに何かしらに特化した人が好まれるのは至極当然。

 

 

でもここらへんがなんかいやという困ったちゃん

 

 

基本的にひとつのことがつづかない⇒ダメなやつ

 

 

でもひとつのことが続かない裏では人の向き不向きやそこに板買いたくないという感情があるわけで。こう言うところを理性で抑えてしまうと自分が壊れるわけで。

 

 

実際に僕は介護を無理して続けてノイローゼだったし。

 

 

基本的に当たるまでそれをやり続けるのが当たりまえ。そして一発目でそう言うものを選べるのような、多分運がいい人がいいっていう感じに見られるのだろうとか思う。

 

 

あくまで職歴とか履歴書上の話。

 

 

僕もようやく諦めるというものと、自分を知ることで

 

 

明らめる

 

 

という部分を意識し弾めることができました。こう言うとことを知っていくとなんとなく楽になっていくような気がしている。でも徐々に楽になってきたんだよね。もっと行きやすさを生きがいを。

 

 

 

やりがいなんかじゃなく・・・

 

 

なんとなくだけど、働かないからダメではなく、小梅太夫はもう人の下で働けないだろうと思っている。働くかどうかではなく、税金を払ってくれればいいっていう感じ。

 

 

でも周りはおしんみたいな苦労話が好きなようだ。

 

 

なんか楽しそうにするよりも苦しいことを続けるということに美学があるっていう感じ。特に野球部の時でもつまらないことを楽しそうにやれと言われた。

 

 

楽しいことをもっと楽しくなんでやんないのかという疑問を未だに持ち続けている。

 

 

 

でもそれを未だに見つけられていないのが恥ずかしい。

 

 

何が趣味で何が楽しいかの感受性のアンテナが完璧にもげている感じだ。

 

 

これじゃ寂しいに決まっているよな・・・

 

 

僕は体育会系の人間で、もちろんしごきとかも経験している。

 

 

 

でもそれが故に上下関係が嫌、組織に従うのが嫌、そこにずっといるのが嫌。

 

 

というなんとなくの性格がそこで出来てしまったようだ。だって理不尽だもん

 

 

かと言って楽したいというわけでもないんだけど・・・

 

 

 

僕の生きにくさメモ

 

 

すぐに飽きる

ひとつのところにいられない

辞めたいと言おうか迷うと調子が崩れる

理不尽が嫌

ひとつのところにずっといてそこしかしれないでいるのが嫌

履歴書書くのが嫌

面接とかでなんかをほのめかされたり言わされそうになるのが正直言っていや

 

だから

 

 

辞めるという必要のない、かつそれほど求められる仕事の難易度が高くなく、定期的に始まって定期的に終わり、それが毎年続いているというスタイルでの生き方が好ましいという感じの結論に至る

 

 

要は季節労働だ

 

 

何度も書いているけどこれは自分にたいする自分を知るためのアウトプットでしかないから別にここまで読んでくれたらブラウザの✖を押すなり、どこかのサイトをサーフィンしに行くなりしてくれていい。

 

 

 

 

 

■僕の出した結論(進展あり)

 

 

 

まぁ度々病気のように行っているけど、愛媛のみかんアルバイターにもういきます!

 

 

9月で今の配達のバイトはやめて行きます。

 

 

あとは夏場から募集は始まるとのことを問い合わせで知ったのでその時に速攻で応募!

 

 

紹介制度もあり、それでいいっかい履歴書を書けばもうすむので、履歴書をもう書かないということはクリアです。

 

 

 

あとは移住はちょこっとするけど定住しないこと。村八分みたいな目に遭わない。

 

 

たしか前回の記事で少し掘り下げた

 

村八分に合うほどにそこになじまず距離感は保つこと。季節的な仕事をしながらその土地を徐々に知って言って自分の行ける場所を徐々に増やしていこうと思います。

 

 

みかんの仕事があればやっていける。ちょっと仕事をしないといけないならJA富良野でも行って10ヶ月くらい働いておけばそれなりにいい貯金ができるしつてもできる。

 

 

あとこう言う季節の仕事をしていると拠点となる家。

 

 

これはどうしようか。

 

 

正直賃貸はだるい。

 

 

なのでまた共生舎にいくか。

 

 

でもこれが一番いい気がする。

 

 

そのまま漂っていたい。

 

 

そんな気もする。

 

 

あとは季節労働に理解のある人とかに空家を借りるくらいだ。人のしがらみが正直怖い。

 

 

四国はシーズナルワークがたくさんあるので正直夢が膨らんでいます。

 

 

拠点が定まらないなら、来年一年は富良野に行ってお金を貯めます。

 

 

共生舎に行ってそこを起点にしていくのも面白い。

 

 

早くじゃばスクリプトも勉強しないとな。

 

 

サイトを作るためにも早く消化しないと、今のサンプル。

 

 

ちょっと受けたい講座も受けたいけどチョット10万を捻出しないとだしネットの環境も強くしないとだ・・・

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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