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【大船渡編】大船渡ゲストハウス と三陸地震のその後を知りにいく

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さて、秋田での空き家DIY教室に行ってきました!その足で大船渡に行ってきました

 

どうも、イズです

 

秋田での空き家DIY教室は台風直撃という残念な結果になってしまったことが悔やまれますがまぁしかたなしです

 

本当のことを言うとギークハウス大船渡に泊まってみたかったという理由で大船渡に行きました。ただコンタクトはFBからということが問題でちょっとやめました。もう今ではFBはやっていないですよね・・・

 

 

それを少し億劫におもってゲストハウスで検索して即決だったのでゲストハウス大船渡にしました。でもこれが当たり!みたいで三陸地震の津波で報道されていない多くの事実を教えてもらえました。

 

 

個人的にいつか行こうって思っていて、いいタイミングでここにこれたと思います

 

 

ではまぁ、つらつら書いていきます

 

■人生初の大船渡に初めて行く

 

 

 

ギークハウス大船渡を諦めてゲストハウス大船渡に直行!

 

 

ゲストハウスが大船渡にあるっていうことを三陸高田の道の駅で車中泊をした時に見つけました。

 

 

オーナーの方は移住をした人で大船渡の津波に関する本当のことをこのゲストハウスから発信している人です。特に大船渡と三陸高田の被害の状況を比べると意識にさが大きくあるということを指摘しています。このことに僕も興味を持ち、津波学習マップを片手にこの地域を散策していきました

 

 

 

 

 

素泊まりでひと部屋を借りれるというのがびっくり!

 

 

そしてワンピースが全巻揃ってる!

 

 

 

ワンピースなんてウソップ海賊団が解散してから見てないもんなー

 

結局このワンピースをチラチラ見ながらブログの更新ができませんでした(笑)

 

 

 

あとはかき氷が売っていたり

 

 

 

オーナーが移住してから5年間で作った独自のマップ。特に自身の大津波学習マップという物を作っています。これは報道をされていなかったものがほとんどで、この三陸の津波にまつわる真実が分かるものです。

 

 

このマップはこのゲストハウス大船渡のオーナーが自ら作ったものです。報道や実際にこの現地に来なければわからないことばかりを集めたマップですので本当のことを知りたい人におすすめです!

 

 

 

あとこのゲストハウスと別に別荘を運営していて、ここも面白いところです

 

 

陸の孤島にひっそりと佇む一軒の建物があり、岬の先っちょでうるさいことでもなんでもできそう。ここも機会があったら行ってみたいところです。

 

 

今回のこの度で新たに行ってみたい場所ややってみたいことが次々に見つかってホッとしています。まだ僕の感性は死んでいなかったみたいですね

 

 

■ゲストハウスの近くのマンション

 

 

 

このゲストハウスの近くにマンションがあります。このマンションは、仮設住宅にもともと住んでいた人たちが住んでいます。オーナー曰く結構最近にできたマンションとのこと。

 

 

そしてこれからオーナーが作った津波学習マップで言ったところを紹介します

 

 

 

まずは海岸線。地震前はこのような防波堤はなく、津波以降の政策で今も津波を軽減するこの告示は続いています。

 

 

 

 

この道を進み、復興国立公園に行くまでの途中でここまで大きな防波堤をみました

 

オーナーも海岸線は海が見えなくてつまらないと言っていました。僕自身も海岸線を走ると海の眺めが気持ちよく、それを期待していたんですが、それらはコンクリートの壁に阻まれてしまっています。それだけ津波が高く押し寄せたということなんでしょうか

 

 

国道を走っていても、実際に津波で水没下地域は過去に津波で浸水したという標識がでています。そして土地が高くなり、水没をしなかったところまで行くと水没区間?が終わったという標識が出ます

 

 

それだけ津波への警戒が高まったということなんだなと感じながら車を走らせました

 

 

 

 

次にこの写真はど根性ポプラです

 

 

これは初めて知りました。このポプラもオーナーが作った津波学習マップに載っています。このポプラは陸前高田にあり、この高いポプラもほぼてっぺんまで水の中に水没したというくらいの水かさの津波が襲っています

 

 

この陸前高田には二つの致命的なことがあり、これらが被害を大きくしたとゲストハウスのオーナーは言っています

 

 

一つ目は地形

 

 

海に向かって扇が開いたように広がっていて、住宅がある場所に向かって扇の要に向かうように土地が狭くなってきているということ。

 

 

この地形のせいで津波の威力が陸に上がるにつれて上がるんです。

 

 

実際に大船渡に比べて陸前高田は全く何もないんです。それだけ津波が押し寄せたあとの引き潮で海に建物も人も持って行かれてしまったんです

 

 

 

二つ目に人々の防災意識です

 

 

ここ陸前高田には比較的新しい、若い人たちが移住をしてきていました。そのような人々は海辺のロケーションを好みます

 

 

しかし、大船渡に比べて先祖代々からの津波に対する言い伝えもなく、地震と津波がセットで考えられないという人たちでした。この防災意識が大船渡との被害の差をうみました

 

先人の知恵や経験則の言い伝えって本当にすごいですね

 

 

ど根性ポプラの公園周辺

 

 

ひっそりとしたバーベキューサイトがあります

 

 

 

しかし、このポプラの木の背後には巨大な防波堤

 

 

 

 

 

この海岸沿いにはかつて小学校があり、そのその校舎は跡形もなく、今はその土地だけが残っています

 

 

 

 

 

この写真の校舎は今はさら地とかしています

 

 

 

 

この小学校の近くには子供たちが作った津波の資料館があります

 

 

 

 

でもここはなにか台風か何かで壊れてしまったようです

 

 

 

ここは少し残念でした

 

 

 

 

 

 

一部でイラストやペイントで書かれたものが残っています

 

 

ここから駅の方に行くとペイントハウスというところがあります

 

 

 

ここは地域の憩いの場として使われている場所

 

 

 

 

 

このペイントハウスの裏に行くとまた一つ建物があります

 

これらの復興ということに願いを込めて作られたものだと感じました

 

 

このあとは駅の方に歩いてみました

 

 

 

 

 

駅に着くとこのペイント

 

 

 

 

 

新しい鉄道も開通する様子

 

これがきっかけに経済的にも回復していけばいいと個人的に思います。この鉄道も来年開通ということなので、愛媛のみかんのアルバイトが終わり次第行ってみようと思います。この駅周辺には家がなく、県が土地が低いということで家を建てることを禁止しています。

 

 

なんとなく穏やかではない記念碑だな、と感じます

 

 

それだけのことが起きたということだと僕は理解しました

 

 

 

 

ど根性ポプラの木の先に大きな堤防が有り、この堤防を歩いていくと夫婦松という看板があります。いたるところに津波からの復興を祈願するシンボルがあります。これらもいたるところに結構あります

 

 

 

 

 

(みねざきわん)展望台に行きました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからも堤防が見えます

 

 

 

お地蔵さんお隣にはメッセージの書かれた石があります

 

 

また雨が落ちてきました

 

 

 

となりを見ると屋根のついた休憩所、鳥の巣も作ってあります

 

 

 

 

 

 

なくなった人たちへの追悼の場所。一つ合掌をしてここを後にしました

 

 

この場所の隅っこに下へ降りる階段があります。ここを降りていくと未音岩としおさい公園という場所があります

 

 

 

 

階段を下りていくと「共に生きる」とかかれた木の板

 

 

ここにも震災での被害にあった人への追悼のための場所

 

 

 

火を囲って集まれる場所

 

いつ、どんなときに使われるのかはわかりませんでした

 

 

 

 

 

ここから堤防へいき、そこをあるけるようになっていました

 

 

 

津波で跡形もなくなくなってしまった海岸沿い

 

その後はここに家を建てるとこを県が禁じています

 

ここらへんには世帯の家は建たない

 

 

津波での経験則ができたから

 

 

今回は二日間しかいなかったからそんなに深くはしることができませんでした。当然ですけどね。

 

 

また時間が出来る予定の夏場になったらゲストハウス大船渡に一週間くらいとまっていろいろ掘り下げていきたいですね

 

 

 

 

 

 

 

■ゲストハウスのオーナーから教えてもらった意外な事実 奇跡の一本松はどうなったの?

 

 

一回だけ報道で見たことがある奇跡の一本松

 

このことをオーナーに聞いていました

 

 

津波に全ての松がさらわれてしまったあとに、一本だけ残った松ノ木。これが奇跡の一本松としょうされてのこりました

 

あれってまだあるのでしょうか

 

 

これをオーナーは一刀両断!

 

 

あのあとは樹木医に見せてみたものの、塩水が木の皮の内側に入ってしまっていたために、枯れてしまっていました

 

 

その後はなんとかこれを残すために樹木を形どったオブジェを作ったけどこれがなんか違うということで結局は今はないんだそうです。レプリカを作るためと樹木医による治療虚しく、今はお目にかかれないということです

 

 

樹木医で1億、レプリカのために3億円程をつぎ込んでもだめで。

 

 

このことに関してオーナーと話しましたが、そのお金を仮設住宅に住んでいる人や、船を失って仕事がない漁師さんに船を買ってあげるとか、そう言う使い方をしないのってなんでだろうねって。

 

 

シンボルを残すことよりも、これからその土地で生きてその土地に未来を作っていく人たちに投資したほうがよほどいいのにね

 

 

いろいろな矛盾ばかりが目について仕方が無かったです

 

 

復興復興といえども、予算を使う側の判断の基準でお金が必要な人たちにお金が回らない、そして北海道から来た人がNPOを作って復興のために南下するという人がいましたが、たしかりばぁねっとだったかな。

 

助成金ってなんでか集まるけど実質的に意味のある使い方をされないなー、とかそんなことを話していました

 

 

もっと深く知るためにここをおとづれたいですね

 

 

次はここから有明のフェリーを目指して行きます

 

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