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【60万で夢のマイホームを買うまで 前編】家を借りるっていうことは仕事上の身分で作れたり作れなかったりするクレカみたいなものと思った

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どうも、イズです。

 

 

今回は前編です。別に全後半に分けるほどのものではないのですが、今働いているトマトの収穫のバイトがハードすぎてブログを書いていられません(;´Д`)

 

 

なのでいつ更新になるかわかりませんが前編を書いとこうと思います。

 

 

 

あとTwitterのメッセやリプで結構このことについて「活動的ですね!」とか「勇気と決断出来てすごいですね!」とか行ってもらえて嬉しんですけど、実はそういうことでは決してないんですよね・・・

 

 

別にいやらしい謙遜とか、家買ったくらいでドヤ顔してるということでもなく、僕の中では「必然の選択肢を掴んだだけ」なんです。だから変に理想化されるとか偏見を持たれるのが嫌だから書いてるだけです。

 

 

僕はぶっちゃけキャラなんで実際を書きます。なのでここは書いたらまず世的なご指摘ください(笑)話は新卒の時から始まり、この体験が今の僕の歪んだ性格を作ったということは過言ではないので。歪んだ僕が悪いっていう人の方が全然多いんですが、歪まざるを得ないし、被害者ヅラをするわけではないけども、こう言うことが起こったときに僕が選んだ選択肢はこうだっていうことだけです。

 

 

では本題を書いていきます

 

 

1.正社員で働きたくない理由、会社を嫌いになった理由が結構トラウマ

 

 


この話しを振り返ると新卒一年目に戻ります。一応僕は大学の教員免許を諦めて介護の資格をダブルスクールという形でわざわざヘルパー1級までとったんですよね。その後北海道に残るという選択をして、札幌ドームの近くに家を35000円で借りました。9畳位のひと部屋の間取りの物件でした。

 

この近くに当時新卒で入社した「コムスン」という悪名高い会社の施設がありました。今はジャパンケアサービスだったかな?それともニチイケアサービスだったかな?そのどちらかにコムスンが最高裁の第一審であっけなく負けて解体された後に有料介護部門を買取りました。

 

私の履歴書にちらっと書いてあります

 

 

当時の日ハムは結構話題が多く、なんか知りませんが、メジャー帰りの新庄がなんと電撃移籍をした年です。しかもダルビッシュ優は22歳くらいで若手の台頭でエースでした。まだオーダー覚えてますが、一番から稀哲、田中賢介、ガッツ、セギノール(だったと思う・・・)稲葉、新庄、木元、高橋、金子という黄金の時代。札幌ドームまでの行列が試合の度に家の前の歩道を埋め尽くしたのを覚えてます。

 

 

そんな明るい話題とは別に僕が最初に選んだ職場は最悪で、当時コムスンは、利用者の家族に介護料金の過大請求で訴えられ、もめていました。そんな会社に入ってしまうっていうのは僕にも世間を見るセンスがなかったんですね。大学生の時はテレビなんて見てませんでしたし。

 

 

新卒の研修は東京の代々木オリンピックセンターで行われ、ひたすらコムチカ(コムスンの誓い)を言わされていました。インストラクターという人が担当して、なんかずれたことしか言っていませんでした。内容はとにかく会社の利益を出せという内容で、今思い出しても腹たちますね。それに呆れて研修中に帰る人たちが実は多かったんですよ(笑)

 

 

そんな中、「あと少しで正社員だから・・・」なんて健気に頑張っていましたが、この研修分の給料が出ません・・・

そのまま北海道へ戻り、辞令を受けた施設に行き、立ち上げから始めました。

 

 

しかし入社一ヶ月で起こったことは

 

 

・俺の新人研修分の給料が振り込まれない
・先輩の夜勤手当が振り込まれない
・通勤してる人たちの通勤手当が振り込まれない

 

という事件が起こり、当時の六本木ヒルズの44階にあったコムスンの本社に何度も電話をかけていました。もちろん払われない夜勤手当と交通費と研修分のことで。

 

勤務して2ヶ月目の5月25日(まだ覚えてる(笑))、僕がいつもどおり半キレ気味に電話で手当のことを聞くと

 

「前月の分は今月夜勤やったら稼げますよ」

 

 

という衝撃の一言を言われ、電話を切ります。そしてその場で「ホーム長、俺辞めるわ」と言ったのは、記念すべき社会人一発目における会社やめます発言でした。その後ホーム会議でもこの話題で持ちきりで、みんな殺気立ちながら働いていたのを覚えています。中には高卒の子もいて、高卒一発目にしてこの仕打ちもかわいそうと思いましたね。

 

 

そして事務所のA4のコピー用紙を労働基準法のHPの印刷でしこたま使うという腹いせをした後にパソコンから辞めるという申請をします。(勤怠を付けるフォームの一番わかりにくいところにあるという結構あくどい画面でした)

 

 

社会人一年目にして世間に背を向ける出来事が追い打ちをかける

 

 

多分この出来事でTwitterであり方とかなんやらかんやら病みと闇ツイートをしてるのかな?って思います

 

 

辞める2週間くらい前に新卒の僕を引き止めに来たのはエリアマネージャーでした。面接の時に提出した履歴書を見せながら「もう心変わりをしてしまったのですか?」って言われたのを覚えてる。こいつのせいで昼休みが台無しになって余計恨んだことも。

 

 

給料未払とかしたらさ、かわるにきまってるでしょ?

 

 

 

そしてこの出来事の止めに、あれだけ僕のことを褒めちぎったこのエリアマネージャーは俺よりも2週間早くこの会社を辞めていたことに余計腹が立って世間を恨みます(笑)

 

 

ひとなんてこんなもんかって

 

 

履歴書は「人のあり方」ではないんだよねー

 

 

でも人を選ぶ側ってさ、人を自分の物差しで測れる範囲にとどめておきたいから「決め付けること」で安心するんだよね。扱いやすくてキープできるからさ。

 

 

結局他人事のものいいで他人を縛っておきたいんだなっていう、あの当時は憤りやいらいら、怒りに関連する感情しかなかった

 

 

裏切りやがってっていうやつ

 

 

今思えば、結局そんなの虫でよかったんだなって思う。でもそれなりにやり返して゚+。(о’∀’)bスッキリ!はしないととは今も思う。純粋な牡羊座だからさ!( ´∀`)bグッ!

 

 

このあとに正社員をやめてフリーターと無職を繰り返すようになります。

 

 

ここから家を借りるというハードルがグッと上がったと体感しています

 

 

なぜなら「正社員」という肩書きを自分自ら捨てたからです

 

 

 

 

 

引越し貧乏を2回経験してから家やアパートを借りるということに疑問を感じ始める

 

 

介護の大卒の正社員を3ヶ月で捨てて一ヶ月の間無職をしていました。ずっとアパートで息をするだけの日々。そのあとは音楽フェスの日雇いやコンビニの新商品のプロモの会場のゴミの見張り番とかのスポット派遣を転々として交通誘導員をします。

 

 

当時は洞爺湖サミットの前だったので、洞爺湖の環境整備で肩が交互交通をしていました。

 

 

鉄芯の入った安全靴が冬の洞爺湖の寒さで冷えて足先がどうにもこうにも凍えて仕方なくなっていたときです。誘導灯を降る傍らでスキー場で働けるものか?ということをもんもんと考えていました

 

 

その年の12月に交通誘導員をやめて、「人生一度きりだ!」という思い切りのもと、群馬のスキー場へ応募しました。(リゾバなんて今思えばそんなに思い切ってやるものでもないって冷めてしまいましたが)

 

 

その後、は二年連続でスキー場へ行きました。

 

 

スキー場が終わって帰ってきたら引っ越すということをして住み込みで稼いだお金は引越しに消え、その時にようやく鈍感だった僕の感覚に疑問符が出始めました。

 

 

それは

 

1 わざわざ住み込みに働きに行く期間の家賃をまとめて払わないといけないからまとまったお金を貯金する必要がある
2 自分が住んで使っていないのに家賃だけは自分の場所をキープするために必要なことへの資金的な効率の悪さ
3 かと言ってわざわざ電気ガス水道の契約を打ち切る事の不便さ(口座振替でしたが契約の最終月は必ず振込になっていた)

 

の三つです

 

家を借りておく「賃貸契約」は、その人が帰ろうと帰るまいとそこを「退去」しないことには賃貸契約は成立していて家賃は払い続けるということになります。

 

これが不憫で仕方なくなってきました。

 

それにつけて不動産営業に足元見られる腹立たしさ

 

新卒の時は正写真という建前と親が警官ということもあり、おそらく保証人がかたいってことで家借りれたんでしょうね。俺の信用じゃなくてねw

 

 

それはそうと、保証人に頼らざるを得ない当時23,24の世間を知らないワカゾーだった僕。家を借りるのは比較的簡単でした。保証人が公務員というのはやはりでかいですね。それだったとしてもまずスキー場から帰ってきたら引越しをするという生活を二年すると家を探すという作業に嫌気がさします(笑)

 

 

その理由として

 

・希望条件の場所と家賃が合う場所がない(当たり前だわ)
・営業の妥協案を聞くのがうんざり
・複数の不動産仲介会社で部屋を見てたりすると同じ家賃、同じような間取りの部屋の強引に提案してきて客を引き抜くっていう電話がひっきりなしにかかってくるからうっとおしい

 

 

そしてなんといっても敷金、礼金などの初期費用が高いこと。家賃を3ヶ月分まとめて払うというのが痛い・・・

 

 

その上保証人の(親)が退職してしまうと一気にハードルもさらにあがります。正社員という肩書きって重要ですね、いろいろ。

 

 

家を借りるにあたって、従業員としての身分が重要ということに徐々に気づき始めます。

 

 

それに派遣や日雇いの仕事では結構借りれなかったりします。そうすると保証人なしの物件になるなどの選べる選択肢が減ってきてしまうんですね。

 

 

なんかこう言うことを経験してきて一つの結論が出ます

 

 

「なんかアパート借りるって仕事しだいで作れたり作れなかったりするクレジットカードみてーだな・・・」

 

 

 

って思いました

 

 

住み込みの仕事の味をしめた僕はこのような仕事をメインでやるようになり、家を借りる事の負担を考え始めます。仕事に行くのにまとめてお金を置いておかないといけないという理不尽な感覚。

 

 

このもやっとした感覚が僕の中にずっと残ります。

 

 

あと借りた家を引っ越すにあたり、自分の家というか物になりきれないっていう歯がゆさが嫌でした。特に「現状復帰の義務」はダメですね。引っ越して出て行く時に画鋲の穴を木工ボンドで埋めるというというあの侘しさ。これが正直嫌でした。

 

 

家を買うっていう判断をするにはまだまだ先になりますが前編は終わりです

 

 

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  • 大分の先輩 より:

    色々あったんですね~

    いつか再現ドラマ作りたいですね
    タイトルは
    「ホーム長、俺辞めるわ」で!

    • is より:

      いいタイトル! 

      なんかドラマ作りたい!

      ホーム長、俺やめるわ!

      台本作んないとなー

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