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雇われすぎず、働きすぎず、食うために生きない。生きるついでに食っていこうよ。だって腹減るじゃん的な生き方をするブログ

ニュージーランドワーホリから帰国したあとの人生のプランを考える~田舎暮らしと移住

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どうも!オーストラリアワーキングホリデーから帰国し、人生最後のニュージーランドワーホリを企てている島田です!!

 

帰国後とこれらのすべてのできごととして「オーストラリアワーホリアル」という名前のブログにしてようやくブログを再開!ワーホリの帰国後の不安に対しても僕が体を張ってひとつの真実を書いていきますのでよろしくお願いします!でもあんまり明るい未来を書いていないから説得力はないということは確かなんですが・・・(ただいま工場派遣で資金を貯めている最中!)

 

まだブログの記事の体裁の直しが終わっていない部分がありますがここら辺はおいおい体裁を直していきますのでよろしくお願いします。ときどき著しくバグることがありますがその時は突っ込んでくだされば幸いです(#^.^#)

 

今後も

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・オーストラリアワーキングホリデーに行きたいという人

・渡航しているが何かしら行き詰まっている人

・マイニングの仕事探しに困っている人

・英語での仕事探しに困っているという人

・タックスリターンで困っている人

・アニュエーション(annuation)の申請で困っている人

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という人への情報を書いていきますし、ワーホリの最中でのまだ書いていない話もあるので(^^ゞ そちらももっと書いていこうと思ってるし、何かと実質的なことしか書いていないから少しつまらないブログになってしまっていた感があるからもっとワーホリ中のエピソードを追加していくよ~!(ちょっと文章のスタイルを変えます)

 

そんな人は僕が作った200Pの無料PDFがあるのでこちらのページの一番したからダウンロードをしてね

 

 

◆オーストラリアワーホリで個人的に失敗したことと振り返りと田舎移住計画

さて、今はニュージーランドのワーホリ資金を貯めつつ、ニュージーランドワーホリからの帰国後こともトータルで考えることにしました。そしていろいろ自分の中で感じて、あーだこーだ理由を付けるではなく、

 

世間体からの正しさよりも

 

自分の中で何が楽しいのか?

 

を優先して物事を自然体で、偏見や自分お頭の偏見なんかをすべて排除してひたすら「自分がどう感じるかどうか」を感じてすおごしています。これによって未だにやりたいことがわからないということから少しづつ前進している、思考ニートの僕です(#^.^#)

結構ワーホリから帰国した人ったちのブログの中で日本の田舎に移住している人たちのブログを発見しています。もともと僕はオーストラリアで一番長くいた職場で有り、ずっとここに痛いと思っていた場所があります。それは

 

アリススプリングスの「kings creek station」という場所です。

 

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当時の記事はこちら

 

まだまだアメブロから引っ越したばかりのために写真が表示されなくなっていたりしてすいません・・・今後ジョジョに直していきますので今しばらくの辛抱をお願いします。(詳細は割愛です・・・)

 

何もない真っ只中の砂漠でしたが僕はここが本当に好きでした。オーナーのイアンもここで出会った人達も・・・ただ一緒に働いた怠惰なイタリア人たちはいただけないけどね。そんな砂漠のど真ん中にキャラバンパークを作ってしまったど根性OZのイアンは本当に心から尊敬していました。本当にかっこよくて男の中の男でした!

 

もしニュージーランドワーホリに行ったら、もう一度、オーストラリアにいき、僕がたどった奇跡をじっくりたどりながら、自分が確かにそこにいて、全力で駆け抜けたワーホリを噛み締めて見ようと思ってる。実際に渡航していた当時は、帰国ごとお金を貯めることしか頭になくて「今」をたのしめていなかったし、自分の心の感じ方に大して鈍感だったことが悔やまれるから。

 

そんなこんなで、僕は「田舎で暮らす」という選択肢が思いついて、半農、半X?だったけな・・・そいう生き方ができるということを嗅ぎつけて、鳥取と島根の移住イベントに参加してきました!いずれも銀座でやっていて、ものすごく刺激的でしたし僕が思っていたライフスタイルの確率の可能性が見いだせた一日だった!!

 

 

◆そういえば僕がワーホリに行った理由

僕はとうとう31になってしまい未だに自分の身の振り方が決まっていないというなんとも不甲斐ない身分です。しかもオーストラリアワーキングホリデーに渡航した理由は・・・

 

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・履歴書の応募動機が書けなくなったから

・もともと海外に行ってみたいという潜在的な願望があったから

・友達が青年海外協力隊(JAICA)に行き始めたから

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という理由です。

 

青年海外協力隊へのあこがれがあった当時、ちょうど北海道での生活にき詰まって埼玉の実家に帰ってきた時でした。当時は介護をしていましたがイマイチ僕の中ではしっくりこないものでした。すでに僕の中で介護への情熱は失せていたようですし、もともと自分がそれにあっていなかったということを再確認していました。

 

あまりに正規のない顔つきに母はすごく心配になっていましたしね・・・多分潜在的に「協力隊」というものに何かしらのあこがれは未だにあるようですしみれんもあるからさ

 

でも今になって「履歴書の応募動機がけない」ということは自分が何も望んでいないということ。

 

だから何も満たされることができていないということがようやくわかってきた。

 

こんなことは30前に分かっとけよ!ドアほうが!!と言われそうですが、僕のこれ前の生き様や性格を考えたら、必然ですね。昔からなんでもいい、とよりすぐりをせずに行くことが礼儀というか行儀がいいということだと思っていた時代があって。でもこの性格も今わかったからジョジョになおして

 

 

自分は何がしたくて、じぶんがどうあるべきなのか?をはっきりさせることをしていかないなら流されて人生は終わっていくんだろうな、って危機感を覚えている。そんな時に今まやオーストラリアのワーホリを思い出して、掘り起こして、自分が一番いいフィーリングだったこと、自分の心の声の本音である

 

「でも本当は・・・」

 

っていうのに耳を澄ませてみた結果。。。

 

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◆先日は東京の「田舎移住フェア」に行ってきました!

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つい7/11日に東京銀座の・・・どこかは忘れた。どっかで鳥取県と島根県の移住フェアがあった。ちょうど地位いいお越し協力隊も斡旋していたし、既に活躍している人たちもいたのですごく参考になっていた。

 

企業に関する資金が出るので企業wしたいという人に対してはまったくもって悪いという条件はないし、じつは地域おこし協力隊は選択肢のうちに入っている。もしニュージーランドのワーホリから帰国したらここに行くということは結構決めていたりするじぶんがいた。これはものすごい発見で有意義であり、自分というものがものすごくわかった瞬間でもある

 

ものすごく熱心にアピールをしていてどこにでも住みたくなるようなプレゼンテーションが繰り広げられた(#^.^#)

 

基本的に過疎地に住民票を移してもらうことが前提で、何かしらの起業をして、地域に雇用を出すか、就農ということが主な条件だ。農業はどこでもできるんだな、少し農業を舐めていた自分を反省した。でも半農半Xは僕がじつは憧れていた形のライフスタイルなんだと確信した。一つの仕事だけって飽きるからね。

 

そして都会よりも田舎のほうが僕にはしっくりきていたから。やっぱりkings creek stationの砂漠暮らしが本当に体に残ってしまっている。自由奔放うなあの生き方た、働き方が僕は本当にいいと思っている。でもそのためには「何かしら自分が出来ること」がないならダメなんだ。

 

昔、青年海外協力隊を目指していたとときにフィリピンのボランティアツアーに行きました。その時に「ボランティアってのは何もできない奴がやることでぢゃねェんだよ!何かができるやつがその能力を駆使してそこの人たちに尽くすこと」がボランティアなんだ!と言われて結局自分は偽善者ということを思い知った経験があるからね。仕事がないなら何かしら自分で収入を作った状態で行かないとたちまち生活していけないから。

 

協力以前に自分が自立できていないと話にならないという現実は必ずあるから。

 

でも20歳、30歳位の人たちは結構田舎に住むことを念頭に置いているし、結構この田舎移住フェアはかなりの人が興味を持っていることがわかった。老若男女、事情はどうであれ、都会の暮らしに疑問を感じている人たちが結構いるもんだ

左の写真はちょうど説明会というよりかは鳥取県の町ごとのプレゼンの時でした。結構みんな真剣で移住者獲得に躍起になっているのが伺える。誘致する人も熱心で、本当に親切丁寧に説明してくれるし、過剰?なほどの冊子もたくさんもらった・・・(^^ゞ

 

でもどこも僕が住みたい!と思えるようなところばかりでむしろ迷った。。。

個人的に一押しというかいきたいな!というところは岩美町というところ。地元にはITの会社があり、そこの企業はかなり柔軟なライフスタイルを提案しているようだ。

 

LASSICという会社のパンフをなぜか役場の人からもらったんですが(会社HPはこちら)この会社の半分はIターンでこの街に来た人たちという驚異の数字を誇る企業で、シーズンが夏とかの時は近くにアウトドアの会社があるのでそこに週3くらいいき、週2はこっちのITの会社。そしてアウトドアの仕事がすくなる冬はITの会社に週5というなんとも理想的な暮らしをしている人がいるとかいないとかという曖昧なことを役場の人の説明から聞きました 笑 どっちなんだよってかんじだけどね。

 

田舎のほうが手取りが増えないご時世の中、手取りの中から出ていくものが少ない生活も悪くないと思っているしワーホリをしてみて気づいたことがあるから少し触れてみようと思うし、僕の今の自分お胸中を掘り下げる備忘録も兼ねてる。

 

でもワーホリに行ったことがある人あら共感してもらえるはずだから読んでみて。

 

◆オーストラリアワーホリに来ても結局生活にまみれてしまった自分がいた

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オーストラリアワーキングホリデーの鉄則として

 

「仕事はえらばない」

 

というものがある。これは日本に比べれば雇用の数、機会は一段と少ないし、まして期間的にしか滞在しない英語の喋れない外国人を住民の給料より高い時給で雇うということはまずありえない。文化として移民の労働力に依存してきたという歴史的背景があるから可能なこと。そして日本人は勤勉だからということで印象もいいのも事実。だから日本人というだけでかなりのアドバンテージなんだよね。人種だけでyとってもらえない人たちは水面下でいっぱいいるから。

 

でもね

 

ワーキングホリデーでオーストラリアに来るということは日本で働くよりもかなりストレスな事なんだよね。

 

例えばシドニーのジャパニーズレストランとか飲食店はほぼ労働法で決められた最低賃金は払われていないことが普通なんだよね。

 

これを日本で置き換えればおそらく労働は週40時間だけど賃金はおそらく最低賃金が低い沖縄、北海道だったら軽く時給は600円とかきるんでない?な勢い。あくまで僕の感想。だって永住したいインド人たちは本当に低賃金で働いているから。メルボルンではインド人が低賃金で働いているということをFBの友人づ手に聞いて断念したということも当時はありました。(実際いてみてなんぼだけどね。メルボルンにも食肉向上はあるし。その代わり僻地)

 

もともとエアーズロックとkings creek stationで働きたかった僕にとっては興味がなかっただけで・・・

 

話は時給に戻るけど、日本のブラック企業よりもブラックな世間なのがオーストラリアの労働環境ということを僕は感じていた。だから都市部で働くということを避けていた。一度だけ日本人が経営するサンドイッチカフェに行ったけど、はっきり言ってつまらなかったし、そのトライアルの時にねんがんのkings creek stationから内定もらったからすぐに飛んでった笑

 

やっぱり人って選ぶんだよ

 

「滞在する」ということがまず第一の目的になってしまうと仕事が選べないようになってしまうから低賃金でもその日を暮らすために仕事が必要になってしまう。しかもその日暮しでワーキングホリデーが終わってしまうと悲劇だと思うから。ホリデーのくせしてホリデーでもないし、帰国後の面接では「ホリデーだったんでしょ?」というダブルパンチがまっていたしね。

 

でもこれがきっかけで「生きる」ということを本気で考えさせられるきっかけになるということもあると思う。帰国して二年が経とうとしているけど、もっといろいろなことを感じて、いろいろなことをやって思考の壁を壊しておけばよかったと思うワーホリでしたね。帰国後の貯金のことしか考えていなかったから本当に寂しいものになってしまったと思います。

 

 

 

◆僕がワーホリから感じたことからなんで田舎移住がアイディアで出てきたのか

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人は必ず選ぶものがあります。今の日本人たちは言葉で言えないけど絶対に潜在的に抱えている不満があります。

 

それはライフスタイルということ

 

いまさら言うなよって感じだけど多分この価値観は廃れないと思うな。実際に僕も今すごく考えていることだから。

 

ワーホリ振り返ってみれば、時給が高くとも、物価の高さや週で出ていく固定出費の高さとのんびりしていないかねの流れのオーストラリア。貯金なんてすぐに吹っ飛んでしまう・・・そんな国だし。

 

僕は未だに起業したくて失敗しかしていないけど、僕が働いてきたところ(Fitzroy除く)はすべて起業と倒産を乗り越えてきた人達だった。だから「俺もあんなになりたい!!」っていうように思って行ったんだよね。特によーとファームのマイクさんは僕にとっては憧れの人のうちの一人だ

 

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かつては羊の毛を市場に出荷して生計を立てていたが、化学繊維が登場し、価格競争で羊の毛は勝てずにその農場は一旦閉鎖することに・・・

 

10年後、オフィスワークをしていたマイクさんですが、「こんなのは僕の人生じゃない!!」

 

とキャンベラでパソコンと向き合う生活を捨ててまたこの閉鎖した農場に一匹の犬とともに戻ってきます。ここら辺が好きなんですよ、必ず犬は必須なところ!!

 

その後アメリカにボランティアに行って、今のよーとファームの小屋の設計図を作り、それを元に一棟ずつ丁寧に作っていきました。そのうちにキャンプ場になり、ボーイスカウトの団体が来るようになり、過去江戸川の小学校もここに来ていた時代があったようです(マイクさんは江戸川をしってたのにびっくり!!)

 

そのあと、オーストラリアでワーキングホリデーの制度に伴ってウーフができました。ちょうど資金が不足していたマイクさんはウーファーたちの労働力と引き換えにここにウーファーたちを泊め、ウーファーたちと一緒にここを作っていきました。僕が滞在していた時は10年以上前のウーファーの人たちが来ました。本当に愛される場所、日本の歌詞ふうに言えば陽のあたる場所を作ったんですね。

 

かつて僕もここを去るときはずっと泣いていました。お金がないのに、稼ぎに行かないといけないのに、ここから離れたくない。

 

上の写真のように、 gum treeの歌をマイクさんと一緒に歌いたいといまだにおもっている。

 

また卓球やりたいな・・・今75くらいになったと思う。マイクさん。相変わらず愛されている。僕もこうなりたいと思った。じきゅうじそくでオーガニックで陽のあたる場所を作る

 

そんな決意が虚しく今は工場派遣で女々しくニュージーランドに行こうとしているし田舎に行こうとしている。少なくともライフスタイルに関しての多大なインスピレーションをくれたのはマイクさんだ。僕が生き方に血迷ってワーホリにきたあの時、僕にヒントをくれた。もっと自分に正直になっておけばな・・・

 

長くなったけど、オーストラリアワーホリに行って感じたことは

 

生き方を学びに行ったいたんだなってこと。

 

仕事は選ばなければある。でもそれで幸せなのか?

 

日本は本当にらくな国だと思う。そうだろ?ワーホリ行った人ならわかるよね?

 

仕事なんてどこにでもあるし、派遣登録すればすぐに派遣紹介料欲しさに派遣会社が紹介してくれる。選ばなければね。

 

オーストラリアに比べれば仕事探しなんて楽だと思う。でも「生き方」や「ライフスタイル」は満たされないのはなんでだろう?

 

精神的に貧しいのはなんでなんだろう?っということを感じて、田舎暮らしに今は興味があるという状態。なんか以外に田舎のほうが自分がやりたいことが全部できるような気がしているから。

 

日本でもこんな生活っておの白いと思う

 

もしこれからオーストラリアにワーホリに行こうと思っている人がこのブログを見てくれていたらぜひ「yurt farm」に足を運んでみてほしい。マイクさんはこんな人です

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