オーストラリア ワーキングホリデーで行った シドニー 片田舎 ヨートファームの歴史
どうも、久々にこの場所の記事を書きますね!ちょっとこの間の記事では心もとないかな?
今回はこのヨートファームをちゃんと掘り下げて書いていきますよ!僕がいったところはちゃんとしたストーリーがあるんです。
ちゃんと語学を学んで、相手を知ろうとすれば相手は心を開いてくれるし、そこにこそ魅力があるんです。
とくにこのヨートファームって僕はすごくマイクさんのバックボーンが好きですよ。もし歴代のヨートファームで働いた人がばったりこのブログを見てくれたら僕は聞きたい。
このよーとファームのヨート(キャビン)はどういった経緯でできたのか?
よーとファームってもともとはなんだったのか?
これ知っている人は意外といないでしょう?
個人的に記事の順番が前後してしまって申し訳ない!
ここヨートファームは、マイクさんが40歳くらいの時に作った場所です。






実はここ、ヨートファームは一度倒産をしています。
1970年に化学繊維が登場して以来、羊の毛を出荷していた農家というのは一斉に倒産しました。もちろんその当時はマイクさんも羊飼いでした。
そして価格競争で化学繊維に勝てず、一旦当時のファームを閉めて出稼ぎに行きます。一匹の犬とともに。
ここからマイクさんにとっても過酷な日々が続きます。
やりたくもないPCを触らなくていけない日々。
デスクワークにへばりついて、何も閃や新しい発見がない単調な日々が10年続いたそうです。
さて、この話の時系列でパソコンってあったっけ?という細かい話はなしです(笑)おそらく入力の仕事と言っていたのでタイプライターか何かと思います。PCが出てきたのはもっとあとなはずですから・・・
さて話を戻して1980年代、おそらく1982年くらいですね。
とうとうマイクさんは羊飼いをしていた頃が懐かしく、このデスクワークの毎日に疑問があり、とうとう耐え切れなくなって仕事を辞めてしまいます。
「この人生は自分の人生なのか?」
このような自問自答を毎日して耐えられなくなって自分の農場に戻りました。この時、マイクさんは「I kicked start my life !with out money , without plan.」って答えてくれました。僕的にすごくぐっとくるんですよ!!とっとと始めちまったというようなニュアンスと思います。
その後、帰ったはいいものの、何をしていくがアイディアがありません。そのときんアメリカにボランティアに行ったそうです。なんでも建築の助手をする?ボランティアとか。
その時に一枚の設計図をもらってきます。それが今のヨートのキャビンの設計図なわけですね!
帰国後は自分の土地にそのキャビンを立てまくり、労働力はWWoof を使い、二人三脚で作ってきたこのヨートファーム。一歩一歩、一つ一つ小屋を立ててきたんですね。そしてボーイスカウトの団体がどこからともなくこの小屋の情報をつかみ、宿泊を指せるというビジネスをスタートさせます。
ここから今のヨートファームの原型ができて、この当時の様子を「やりたいことを始めたら小さなお金が入ってきたんだよ!」って言います、マイクさんは。歴代ここまでここまで話聞けた日本人はいないよな?なんて思っていたりします。
ここから本格的にWWOF(ウーフの)受け入れがスタートしてこ家づくりが加速します!キャビン、トイレットタワー、(本当に高いとこに作られたボットン便所!蛇にけつ掴まれるとあぶない!!!)、ヨート内の施設づくりが本格的にスタートします。

ここから多くのウーファーが訪れます。そしてみんな思い思いのものを作っていきます。
上記は日本人が書いた歌舞伎の「JANESE YURT」の壁の絵。ちゃんと泊まれます。歴代の日本人が書いたものだそうです!超うめぇ!!
あとは少しウーフハウスの中の動画を載せておきます。↓
[高画質で再生]
ヨートファームのウーフハウス解説動画!
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もちろんこのウーフハウスはマイクさんの手作りだから寸法やあてつけはガタガタ!でもすごく温かみがあります。
耐震強度の問題がないオーストラリアだからこそ出来るんじゃないかって思います。でもこのウーフハウスは雨の日がひどいけど・・・
ヨートファームにはマイクさんのいろいろな思いと、それまでヨートに関わってきたウーファーにとっても大事な場所です。
だからこそ昔のウーファーがふらっと立ち寄ってきたりするんです。実際悪名高いところではまずありえません。
僕はここが大好きです。