このサイトを作った人について
さて、このブログにご訪問ありがとうございます。
このサイトを作成したシマダです。
ちょっとした略歴をばすこし
ワーホリは突発的に行きたいって思いました
もともと海外はなんとなくぼんやりとしたあこがれがありましたが自分がそこまでして行きたいのか?っという疑問を抱えていたこともあり、いろいろ旅の起業した人や僕がなにげになんとなく本屋で立ち読みをしていた高橋歩本(僕は勝手に歩む本って言っていました)やロバートはリスの本などを読む程度でまさか自分が行くなんて思っていませんでした。
必ずヴィレッジヴァンガードで立ち読みしていたこの歩本。なんか知りませんけど読みやすくさくっといい気分になれたことが僕的に好きでした。のちのちワーホリに行ったとき、これを本屋で買って現地で読んでいました
こちらはロバートハリスの本。これは多くのブロガーに影響を与えたと思っています。個人のブログにやりたいこと100リストとかある人は結構います。もちろん未だにブームが去った?とも割る今でも僕は糧を削除するのがめんどくさくてそのままにしています。
もともと新卒は三ヶ月でやめてその後は日雇いをフラフラしていました。
スキー場がオープンすればスキー場へいき、それがシーズンオフになれば交通誘導員で次の冬まで過ごす。
その間はあんまり働かないでいたのでそれなりにブランクがあります。
もともと給料未払のことやタイムカードを切ってそのあとに働かされるのが嫌とか働くとあんまりいいことがなかった記憶があります。交通誘導員をやっても移動の時間が長すぎて正直働いているだけのせいかつがいやになっていました
大学を出るとき、であたあとに友達が青年海外協力隊に派遣をされたということ聞き始めます。
ちょうど僕もそのときは 25で、交通誘導員しながらなんとなくこのまま60になっても仕方ないなって思ってた時期があり、チケット制の英語のチケットを2500円分買い、英語のフリー特レッスンに通っていたりしました。
その後地元に戻り、同じ部活の同級生が青年海外協力隊に派遣されたということを聞きました。
そのときは 何もしたくなくてどうしようもない時でした(今もですが)
履歴書の応募動機がかけず、全く何も目指したくない、やりたくないというとき、細々とアマゾンでものを売っていましたが全く売れなかったんです。
そんな状態のまま時間が過ぎるならもういっそのこと手を伸ばせと思い、ダメもとで応募をしました。
■体脂肪を落とすために無理くりダイエットした
青年海外協力隊への応募は二度しています。そして体重と体脂肪が基準よりもオーバーしていたので、何も食べず、水だけというボクサーとまではいかないまでもそれくらいの体重制限をして、体重を落としてから応募用の健康診断に行き、身体測定などをしました。
その結果を送りました
まずは仰天の事実がひとつだけ発覚し、僕の血液型はB型なんですが、もともとはO型です。近年の血液検査の精度が上がってきたために母子手帳と血液型が変わるという人は結構いるんだそうです。
とくにB型とO型は血液型の決血球の大きさなどが似ているので、BO型とかの人がいるそうです。
僕の血液型はB亜型という形で、体調などによってはOがたになったりするとか。(ホントかよ)
この血液は特殊で青年海外協力隊で派遣される後進国の医療水準では輸血を出来るかわからないというJICAの健康センターからの返答でした。
8ヶ月ニートをした冬の時でした。
詳しくはこちらの記事を参照に
■青年海外協力隊の二年の任期をワーホリで埋めようとした
もともとはカナダのスキー場にでも行って働こうとか思っていました。
ただ、カナダは季節に仕事が左右されすぎて、しかも英語のできない、職歴もない僕が生きていけるかが自信がありませんでした。お金を貯めるという気力もそれほどなかったんで。
そして僕がワーホリの説明会で見た砂漠の中をクアッドバイクというバギーで運転していくという場所を見つけ、そこで働くためだけにオーストラリアワーホリを決めました。
■TOEIC320点でネイティブの環境で働けた。ただ努力はしました
結果からすると行きたい場所へも行けてそれにおまけもついてきました。僕にとって一番好きな場所はアリススプリングスです。ここが一番オーストラリアっていう感じがします。
そして森林火災が発生しその火を消しに行ったことも思い出です。
火を消すために火をつけて燃やすということも初めて体験しました
あとエアーズロックにヘリコプターで行けたこともいい思い出です。
帰国してからはネット転売を一年くらいと工場派遣、そして今は郵便局の配達のバイトをしています。
いろいろワーホリに行ってダメになったというレッテルを貼られている人間です。
今後は11月には愛媛の援農に行きます。
定期的に入ってくる季節労働をしながらFXとかネットの転売をしながら自分の下限の生活の収入を確保しながらそこに上限を自分で足していけるライフスタイルを作るということが目標になりました。
それまでちょっと我慢していきます。
■ワーホリは行ってよかったです。この過去がこの先の未来の中で僕を助けるって確信しています
ワーホリ帰国後は鳥取移住に失敗したりと本当にダメな時だし今もそうです。
四国のお遍路に行ったりして引きこもったりなんかワーホリの時ほど輝いていられないんですよね・・・
職業訓練でHPを作れるようになってもそんなにできるわけでもない。
趣味のレベルになっています。
でもこれくらいがいいですね。
愛媛に行ったらお世話になったお坊さんの掲示板を作ってみようって感じでPHPを勉強しています。
ワーホリのブログは正直言ってリアルタイムで行っている人に聞いたほうが正しいです
僕も英語ができなくて、成績も5段階評価でも10段階評価でも2と1でした
そんな奴が一世一代の大冒険をしたというただの備忘録を残しておきたいんです。
それがこのブログサイトを作った動機です。もし何か持ち出せる情報があれば持って行ってくださいね。
それか質問していただいても構いません。なるべく早く回答します。
ではフラフラ見ていってやってください
今では鳥取の移住に失敗し、2018/11月より、愛媛のみかんアルバイターを皮切りにシーズナルワーカーとしての生き方を始めます。やはり僕はずっと働き続けるということに苦痛を感じざるを得ない人間です。
定期的に仕事が始まり、定期的に終わり、また始めるというような「仕事をやめます」ということを言わなくてもいいという生き方にシフトします。季節労働の紹介に登録をしておけば履歴書書く事もないしそのまま仕事も入ってくるし一ヶ月単位で休みがあるからいいって思う。
一生週休二日で生きて行きたくないから。






