◆激動の2017年!地方移住⇒引きこもる⇒職業訓練⇒からの・・・
今風に書くなら「激動過ぎる2017年を振り返る」みたいな触れ込みかな?っとも思えますが・・・
正直一番のどん底だったような2017年だったと思います。
なんで年の瀬にアップしようとしたら年明けていました。
まぁどこのブログでもやっているであろうこの振り返りのブログネタ。それに埋もれるということは確実なんですけどなんか書きたいから書いています。特に今年は正直言っていろいろなことがありすぎた一年でした。
ここがまさに人生のボトルネック
ああ、2018はお先真っ暗の中からのスタートが確定していてそこから脱出できるのか!?
まぁにはともあれつらつら書いていきますわ
◆年明け~鳥取から帰ってくる
うーむ
うーむ
うううううむむむむむぅ
しかしうかなすぎるこの顔・・・
生気のなさすぎるこの顔はおそらく初めてだね。後ろの山積みの荷物も懐かしいしね(笑)
今はどうやって処分したのかがわからないし思い出せないくらいの病んだ状態でした。(今もだけどね)
今年の一月の半ばに鳥取の移住を断念して帰ってくる直前の顔です。ずっと見たくなかったんですけどねー、今見ると相当やばい顔していますね(;´д`)
このときは農業研修やめた時でした。徐々に農業の厳しさに打ちひしがれていった時の状態です。それと売上の上限が決まっていて、その下限は簡単にその上限を超えれるという権力的な構造とかなんとか、結構助成金の柵とかを知った時でした。
これを計算したら、同じ140万くらいの年収でも、農家さんの小間使いやっても年収が同じ,かつ時間と年収の上限を伸ばせる可能性があるとすれば農業フリーターとかの合間でヤフオクとかやったほうが絶対にいいとか思っていた時でした。
やはり遠くから勘ぐってばかりではわからないことが多いですね。でもやったからこそ分かるということがわかったというのが大きかった年初めでした。
特に帰りは道を間違えて岐阜とか京都あたりで爆弾低気圧に捕まって通行止めとかのトラブルに会いました。しかも道中二回ほど対向車がいきなりスピンし出すという状況に陥いって正直死ぬ!という思いをしたのが印象深いです
後輪二駆の雪道は正直言って死ぬということに値するということをむざむざと思い知らされました。でも事故った現場をリアルタイムで見るということも貴重でしたし、しかも当たられたダンプの運ちゃんの慈悲深さに感動しながらそのことを通り過ぎました。
でもその時は結構僕も危なくて、避けた拍子にこっちもスピンしそうになっていましたからね(笑)
カウンターを当てまくってなんとか立て直してそこを走り抜きました。
もう雪道はいいや。四駆を大阪あたりで15万とかで買いたい
お金ないけど(笑)
◆大分の先輩のところへお世話になるその2
そして鳥取を出たあとには大分の先輩のところへ行きます。りたーン!
やっぱりこのつながりって不思議に思うところがありますね。
ああ、そういえばジムニー・・・
エンジンオイルとかオートマオイルを変えておけば17万で乗り換えが可能だったんですけど・・・
でもスタッドレスが半端ないくらいに高いからもうよかったなー・・・
この時点では
車の保険
車検
メンテ
車選びの落とし穴
などなどを学べました。
ここから正気の沙汰ではないっていう感じで動きます。
まぁ、この内容は2016なんで多少は関係ないです。その代わり僕の相棒は「スズキ エブリー」になりました
これがあったからこそ大分まで行けました。
大分からの帰りで死にかけるという体験も貴重でした。雪道の対向車スピン×2は刺激的でした、ほんと。二度書きました。
◆2/10ニートの日のイベントに参加する
このイベントの後、共生舎に行った。そしてこのイベントではPHAさん、共生舎のばなしーさんのトークイベントに参加していました。
のちのち、このイベントで四国へのキッカケになる、「お遍路ハウス」の企画を聞きつけます。この企画の説明会に来ていたお坊さんがいます。四国の安国寺というお寺の住職さんで、お坊さんとしていろいろな方の相談に乗ってします。
どうしても僕ももう消えてなくなりたいくらいのどうしようもない状態で特に理由はなかったけどここに行きたいって思ったんですよね。別に何がどうなるかはわからないし、特に理由も目的もない。何も考えられない状態だったからここに行きました。本当に理由とか、誰かに説明して、説得して、納得をさせられるような理由なんてないです子孫な人に説明なんてする気が起きませんでしたからね。
後お遍路ハウスの企画自体はあるようでないのかが判断しにくいくらいのぼんやりとしたあやふやな企画でした。これは地元のお坊さんともお話しましたが、この企画自体も正直お坊さんサイドからして怪しいっていう感じでした。
実際に香川県の喝破道場という場所を自力で作ったお坊さんがいて、その人は自力で、しかも無償でお遍路さんのための休憩所を作ってしまったほどです。こういうのが本物の有志だということを知り、つくづく自分が偽物ということを知りました。ああ、ダメなやつだな・・・
ほんとにお坊さんだけど建物作れるってすごいっす・・・
上の写真がお遍路さんのために作った休憩所。近くにはお湯が出るシャワー室もある。
◆四国の安国寺に行く
年初めから正気の沙汰ではないですね。
ここの安国寺ではNPO法人 ニュースタートという団体の「お遍路ハウス」の企画説明に参加したお坊さんでした。
この安国寺を知ったのもちょうど2/10のイベントがきっかけでした。
でもそれがきっかけでよくもまぁ、四国いったなっていう感じです。我ながら。もう去年の年初めの行動なんてどうにも言葉にしようがないです、自分で振り返ってみてなんですが。
アマゾンでこのような本を出しているお坊さんです
ここ安国寺にはいろんな人が相談にやってきます。もちろん僕が滞在している最中にも相談の電話が結構かかってきたりもしたり、地元の人にも相談にのっています。
うつで家庭崩壊しかかった人、
過去東北から死にきれないからどうしたらいいでしょう?という相談をしに来た人
今も家族間の中で葛藤をしていたりする人
いろいろな人に合わせてくれました。
こういう人たちに比べれば小さいことでおとづれたんですが、ここで家庭の中での問題を指摘されました。
初めて聞いたことなんで結構戸惑いましたが、考えてみればなるほど、っというふうにすっと落ちていきました。まぁ、これは書きません。どんなぶっちゃけたことを書いてきたこのブログだったとしても(;´д`)
ただここの和尚さんの言葉に癒されたことは事実です。
事実を指摘されたことで癒されるということが初めてだったから印象的でした。
それとこの和尚さんは不幸を比較で解決する世間の風潮に対しても疑問があり、そこも僕が同意しました。
自分の不幸よりも世の中に不幸な人入るけれども、その比較をしたとして解決と言えるのか?
ということに関して結構喋った記憶があります。
この人が相談に乗るときは、その人その人の等身大の問題に寄り添ってくれる人です。お坊さんといえど結構いろいろいますが、この人は偏見のない人で、物事をクリアに、色眼鏡をかけないで話を聞いたり、物事を見れる人です。
お坊さん自身も生きる上で自分の存在する意味が見いだせずに苦しんでいます。おそらく世間では「自分探しの旅」というようなニュアンスで片付けられたり、自己啓発的な正論でバッサリきられて終わるでしょう。
本にも書かれていますが「僕は常識という名前なのか?」という文章があります。幼い時の花とのやり取りでの言葉を今でも引きずっている人です。僕は被木津っているものはなかったですが、どんなにひとり暮らしをしていた時でも、なんか自分の中にアル満たされないポッカリとしたものを常に感じていました。
特に和尚さんはもともと家庭の事情が良くなく、そのことをかなり言います。
特にスケーターが出てくる過程とかの例え話はものすごくわかりました。ただ、お金のある家はもともとお金があるかから生きるに困らないとかおいう単純な話ではなく、自分が生きる上での方針がその家にあるのかないのか?
ということです。
僕は中流の家庭で育っています。おしょうさんいわくそういう人が生きるに困っているということを指摘します。
例えば家がもともと歌舞伎俳優の家計であれば生きるということに困りません。そのように生きるという親族、親、兄弟が居るので自然とそうなるということを言われていました。なかにはたまにそれに嫌気が差して道を外れる人もいますが結局はそれに近しい形で戻るか、世襲してそこに戻るというオチになります。
いまどきな言い方でフリーターでフラフラしているような人にはこのような人が多い。このことを和尚さんと話してて腑に落ちました。自分を表す、IDというものがなくそれを探してさまよっているふうに見えると。
あと写真はお寺の裏山。もともと鬱蒼とした木が生えていて、それが邪魔で全てを切ったといいます。そしてここに桜を植えてみんなでお花見でも出来たらいいよね、っていうことを和尚さんは言われていました。
しかしながらここの裏山に木を植えた人からはいい反応が無い様子。
それで人の間でのトラブルでずっと苦しんでいる。
ここで和尚さんは僕に縁をくれました。
ああ、なんかしたいけど、掲示板をPHPで作りたいけどダメだ。まだまだかかりそう
◆この帰りに和歌山の共生舎による
なんだかなぁ、行ってみたいところへ行ってみよう的なことしか考えられなかったんです。
もともと行ってみてみたかったので思い切っていきました。徳島から四国を出れば和歌山が近かったので、行くなら今だなと。
共生舎への道のりは本当に険しく、正直言ってエブリーでたどり着けるのか?という疑問が拭えなかったあの時。しかも途中からドコモは電波が圏外になるのでグールマップは開きっぱなしでいかなくていけなかったし、とうとう真っ暗な場所でアプリの使いすぎでバッテリーが落ちる。
そして真っ暗な山の中で一人ぼっちになる(笑)
これは本当に山にこもるのも一苦労だって思いました。
でもこの共生者の寝心地がいい。
良すぎる!
久方ぶりの熟睡を下と断言できるほどの心地よい睡眠に陥りました。
めちゃくちゃ寒い時期でしたが、日が暖かくさしてきて、明るくなってくれば過ごしやすい気候。
みんな面白いし、初対面の僕を麻雀に入れてくれて、あやうく「ただいま」と言ってしまうほどのなんか懐かしさの漂う場所でした。
いろいろな個性的なメンツが揃っており、近くのキャンプ場や旅館での皿洗いのバイトなどがちょくちょくあるのでそれなりの生活ならできるというところでした。こんな感じの生活がいいと思っています。
そのひぐらしと言われそうですが、正直いいってほとんどどこもそうだと思います。土建だって工期の間しかまとまった予算が落ちてこないし、その予算を配分して人件費にしているし、その工事が終わりに差し掛かればまた入札に行く。
その入札で仕事を取れなければ仕事もなくなる。
別に長期で入ってきた仕事を日割りで計算してしまえばどこの会社もその日ぐらしだろとかゆがんだものの見方をしてしまう。
通信会社ならユーザーが離れないかぎりは見込みが立つからそうはならないのかとかぼんやり考えている。まぁ、土建と通信会社っていう例えが極端というのもあります。これ以外わかんないし、これすらもわからない。まぁ、聞き流してください
本当にここにずっといたかったけど、今では男たちが溢れかえっているという(笑)
それとばなしー参加結婚したし、住居もまた考えないと東京島というげんしょうになりかねません(笑)これを真剣に考えていました。
でもここを作った理事長の部屋?っぽいところも見せていただきました。なんかプログラミングの本とか結構いろんな雑学を学んでいる人でした。生前にお会いして話をしてみたかったと思いますがそれは今ではかなわないのが残念です。
◆一応どっかに働きに行ったけどとんでもブラックなところだった
さて、共生舎から帰ったあとはキャンプ場に働きに行きます。
星の降る森というところでした。
沼田にある結構山の上にあるところで、オーナーが全て手作りで作ったロッジのある場所です。そこはオリジナリティが溢れ、ファンになる人は結構います。
ですが・・・
ここにはハローワークの求人検索で探して行ったんですが、なんかお歌詞買ったので5日でやめて帰ってきました。
タイムカードの打刻機は故障中のためになんでかしらないけど手書き
そして労務士が土曜にも関わらず労働条件の見直しの監視に来ている
ハローワークの求人票では月給151000円と書いてあったにも関わらず、変形労働制の時給1000円が内定の時の時の労働条件に変わっていたこと。
タイムカードを切ったあとになにかしらあれしろこれしろと言ってくる、そしてこれは研修中だから仕事をを覚えるためにやってほしいことなんだという見苦しい言い訳
しかもこういってくるような人たちだし、住み込みということだから逃げ場がない。
これは・・コムスンフラッシュバック!!
もう給料の未払とかは正直我慢しません。アレルギーのレベルではないです。こういった労働権のトラブルには辛くなってしまっている私。もうムカついて速攻でやめました。
そしてこのあとはしばらく無気力になって寝ていました。やはり雇われるということはいいことないんだ俺といううつにも等しい状態。年明けても引き当てる選択肢はダサかった。
未だに5日分の給料もらってないし貰いに行く気すら起きない。もうあいつらのかおみたくねーや
しかもこの労働条件がバレたのは従業員の会話の録音からだからタチ悪い。
山奥でなにやってんだか・・
◆職業訓練を受けようと決意するが・・・離職届けがといていなかった
もう何をやってもどうにもならないからもういいやっていうな下痢になっていた時に、ハローワークで一枚の広告を手にする。これがwebクリエーター養成講座です。
もともとプログラミングは二度挫折していました。
でもなんとなく諦めていなかった部分があります。だからちょっと受けてみようかとも思いました。
◆あれ?ハローワークで失業者申請が必要になり、離職票の提出を求められると・・・
ハローワークの職員
「離職票はお持ちですか?」
俺 「それなんすか?」
ハロワ
「退職されたときに事業所から渡されるものです。法令では退職した人には必ず事業所が出すように義務づけられています」
俺 「もらってないんですけど・・・どうやってそれは確認しますか?」
ハロワ
「まず二階の多くの係りにお申し付けください。そこで発行をされたのかどうかの確認ができます」
やむなく離職票を手元に揃えて求職者支援訓練におうぼをしましたがその影響で開講のクラスが一期ずれるという残念な結果に。しかも失業保険の申請も遅れて・・・
まだ影響を及ぼしてくれたな、あの役場。でもこれで終わったからあとはリセット!
プログラミングに関して言えば、Ruby,C言語は挫折していたので、スタンダードにホームページの体裁が組めるところからはじめようって思っていましたし、過去独学で本を買ってやってみましたが、その本の内容を理解するための基礎もなく、ましてやその本の誤植を見抜ける力量がないのでどうあがいてもダメでした。
このあと、無事受講するということができ、去年の12/18で受講を終了しました。
これを受講して
イラストレーター
フォトショップ
HTML
CSS
JQ
JS
PHP(これは独学)
という感じで終わりました。もともとIT業界のフロントサイドとかサーバーサイド等の部分ごとの区別が付いてなかった僕にとってはそれらを知ることができました。
そして念願が叶って自分がホームページを作るということもできました
最後の制作期間、一ヶ月の間で三つのサイトを作れたことは正直自分でも驚きです。
あとはリキッドレイアウト、フレックスボックスでのワードプレステーマの作成をしておけばあとは完璧!っというところだったんですが、時間がありませんでした。
かつて、FC2のアフィリエイトをするにも、グローバルメニューをヘッダーに入れるということですら三週間もかかっていた僕なので基礎知識を理解するための基礎知識がないという絶望的なところですね。それにすら気付かなかった今までは本当になんだったのか?でも今回の講座では本当にいい基礎を見つけられてPHPを理解して聞けるかも知れないところまで来ています。
◆職業訓練の前になりますが、アウトロー採用に行ってきました。
なんとなく怪しい雰囲気が僕的にグッときたのでふらっと行ってきました。
この採用は普通のものと違い、採用の担当者や、社長が直に応募者と話すというユニークな採用のイベント。やはり経営者の本音として、形式的な面接の突破法を心得た学生からの本音が知りたいということで盛況のこのイベント。
でも本音言えば不採用なのわかってるから本音言わないんだっつーのというのが本音僕が参加してきました。
結構世間からのアウトローな人たちが集まってはいるけど、結局はふつーに就職という道に。
最初に坂本龍馬は脱藩したしそういう人が日本変えてる・・・・みたいな大きな話から始まったけど、結局はその脱藩した坂本竜馬がまた藩に戻るみたいに就職したら近道だということに落ち着くイベントです。
アウトローという人たちをアウトローな会社がアウトローな採用方法と選考方法で選ぶのかという淡い期待はあっけなく幕を閉じたこの採用会。
今はもう連絡とっていませんが、アウトローといえども年齢制限は29歳までです。
◆2017の締め!山奥ニートバーにいく
本当なら年収100万円台の子育ての仕方というトークイベントを聞きに行く予定でした。
ただまだ職業訓練が終わっていなかったのと、京浜東北線の人身事故のダイヤの狂いから行きませんでした。
しかしながらそのあとに開催された山奥ニートバーに行ってきました!
懐かしいばなしーさん。ニートたちを連れて五合庵をしたいという四国のお坊さんのことを話したことを覚えていてくれました。
これが嬉しかった。
あとは相変わらず話の聴きどころがうまい!拾うところが本当にラジオのDJクラスのうまさ。人と人との交流のハブになれる人はこういう人の子を言うんだなって思いました。
場所はエデンというなんか知りませんが危ない人たちが集まるというバーです。
そこで一日バーテンということで、今は専業主夫となった料理の腕前を披露してくれました
そしてガス代近くのガス給湯器のガス管にいつ印加するのかというヒヤヒヤモノのエデンですが、ここでニー株の代表どうしでちょっと集まっていたりもしました。
っというのが昨年の流れです。それなりにてんこ盛りな一年でしたね。
ああ、今年はもうどうしようかな・・・とりあえず確定申告からだな・・
まだ人生が続く・・・
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