ワーホリの帰国後に地方への移住という影響を与えたシドニーのオーガニックファーム
シドニーのヨートファームで鵜ㇷしてた時の写真で失礼!!ここを出る時は僕は号泣していたから・・・・
本当に何度思い出しても僕はこの場所とマイクさんが大好きです。もしこのブログを読んでいるあなた!僕もワーホリしていたころは努力して英語を勉強していましたし、TOEIC320でもやってこれました。しかし毎日ブログを成るべく英語で書いていくことが必要です。基本的に規律さえあれば英語もちゃんと身につきます。今はTEIC450ですけどね(-_-;)
だいたい2011/2月くらいから英語のブログは書き始めています。こんな感じで拙いながらも始めることが重要ですよ。
さて、このブログがアップされるころには鍛冶橋から高速バスで僕は岡山へ向かっています。四月が迫り、僕の農家としての人生の第二章が始まろうとしています。
農業研修生としての道が始まります。記事更新も結構ちょちょぎれると思いますから本当にあしからずっす・・・
今回鳥取の生山までは米子経由ではなく、岡山経由で行きます。生山は岡山寄りのためにこちらから行ったほうが早いと思ったためです。あとはバス会社が結構あるということも大きい。
米子発着のバスはウィラーに限られるのでその選択の幅も少し魅力でした
今回は高速バスはオリオンバスという最安のものを予約しました。ちょっとまだ書ききっていませんが、
新宿-岡山間—4000円
岡山から伯備線で特急やくもで鳥取県の生山へ—–4480円
(本来は伯備線で2000円台で行けるんですが時間が空いてしまうのと結構車を置かせてもらっている駐車場までかなり歩くので高いけど特急を使うことにしました
でも一万円で着くというお得感が素敵ですね!あとは+1000円が鍛冶橋までの電車賃としてプラスになります。
では早速本題へいきましょうか!
この時代では自分の在り方をどっしり構えないとやっていけないって思います。人のせいや社会のせいとかではなくそんな世の中も自分で歩く程度の道ならあるから。
自分が自分でいやすい、ありやすい生き方を見出すという意味でワーホリは様々な人の生きざまに触れることができていい経験でした。そんな中、自分の生き方を貫くために倒産を経験した後その倒産して閉鎖した羊の農場へ戻ってmixファームというキャンプグラウンドを作ったマイクさん。この人の生きざまとあり方、この人から受けた影響を書いていきます!
◆羊の羊毛で生計を立てていたが化学繊維の出現で倒産したマイクさんの過去・・・
僕が二か所目に行ったシドニーのウーフ施設「ヨートファーム」。ここはマイクさんが運営する野外体験のキャンプ場。ここの合言葉は[back to bacis]基本にもどるということ。
おそらくマイクさんから言わせたら。今の世の中での根本的な場所へ戻るということと思っています。
マイクさんの口癖は「ホワイトワーカーにばかりなりたがる人が多く今必要なのはブルーワーカーなんだ!」っていつも言っていた。そんなマイクさんがここのyurt farmを作ったのはおよそ30年ほど前。
マイクさんが30代くらいの時にちょうどか化学繊維が市場に出回り、当時は羊毛を売って生計を立てていた農家はほとんどすべてが倒産したとマイクさんはいっていました。
羊毛ではコストパフォーマンスで勝てなかったからです。
こんな時代背景があってマイクさんはその農場を閉鎖し、キャンベラへ生活の拠点を移しました。一匹の犬とともに・・・
この一匹の犬を絶対に連れていくということが本当に好きなんですよ笑 ここら辺がマイクさんだから
◆キャンベラで満たされない日々を10年送った後、また農場へ戻る
このキャンベラでの日々は地獄といっていたマイクさん。毎日デスクワークで同じことの繰り返し。それがたまらなく苦痛だったといっていました。
パソコンと向き合うだけの日々でめがつかれ、
単調な作業の毎日で何のインスピレーションもなく、
ただ日々が過ぎていくだけの日常の中でマイクさんは自問自答をします。
「これが自分の人生なのか?」
それに答えを出したマイクさんは貯金もなく、明日の生活もままなるかどうかもわからない状態でついにその仕事を辞めて10年前に閉鎖した自分の農場へ戻りました。
このときの話を聞くと[kicked to start my life!]っていいます。とっとと自分を始めたんだ、という意味でしょうか?ちょっとマイクさんは独特の世界観でものを言うので少しgoogle翻訳が役に立ちませんしおそらく当時の僕のリスニングがあっていないことの可能性が高いです。しかしまだまだ覚えています。この言葉。
この言葉に僕はぐっと来ていましたからね
◆キャンベラから自分の在り方を信じて農場へ戻る。しかし家畜はいない・・・・羊毛も売れないという手詰まりの状態
やはり一匹の犬とともに自分の農場に舞い戻ったマイクさん!
やっぱり俺もいぬはだから気が合うんだろうね!やっぱ好きだし、OZは犬のほうが好きなんだろうか?僕が出会った人たちはほとんど犬を飼っていた。だからOZは犬派なんだろうな!
しかし舞い戻ったとしても状況はすでに悪化している状態・・
実はオーストラリアは土地代がかからないからそのまま持っておいても大丈夫だけどその代わり資産にすらならない・・・・
はっきり言って手が詰まっている。この時マイクさんは40歳ちょうどくらい。さすがにアイディアがない状態でアメリカに渡ったといっていました。
このときは何らかの建築ボランティアでアメリカに渡ったらしいです。このことで今のヨートファームを作るきっかけになるものをてにいれることになります。
◆アメリカの建築ボランティアで今のヨート(小屋)の設計図を手に入れる
その時の設計図はじつはここ、ヨートファームのグリーンシェッドとという卓球台のある小屋の中にあります。六角形の多角型の小屋の設計図とその製図通りに立てた小屋。それとそれぞれ個性のある小屋たち。そして小屋のいくつかには日本人のウーフの人たちがデザインしたり、歴代の日本人のウーフの人たちが受け継ぎながら完成させた小屋もあります。
上のものは確か日本の中学校の生徒さんが作ったものです。中は浮世絵になっていてめちゃめちゃきれいですし絵がうますぎ・・・
ほんとに中学生ですか??っていうくらいの絵だよね。
あとはマイクさんはなんでかしらないけど江戸川を知っていたんですよ。過去そのちゅうがっこうか小学校が来たらしい。
しかし今まで書いたことは今の段階。アメリカに渡った段階ではまだまだ金欠の状態。しかも仕事を辞めているからしゅうっぴだってできないし、アメリカに行ってしまっているからお金がない。土地はあるが、資材を買うお金がない・・・
そんな中でオーストラリアに一つの新しい制度ができます。
◆ウーフの先駆者のマイクさん!歴代のウーファーたちが紡いで作ってきたヨートファーム!これからももっともっと面白く作られていく
まずこのヨートファームをマイクさんが作ろうとしたときに新しい制度がオーストラリアにできます。それがワーホリメーカーたちの御用達の「WWOOF」という制度ができました。マイクさんがこの制度を使うのにためらう理由がありません。お金をかけずに労力を得ることができますから!!
そして余談ですがこの語今の二番目の奥さんのユディスさんも(スペルとオランダ人なのでJを読むのかどうかが謎)ウーファーとしてこのヨートに来てマイクさんと結婚します。このときの話をマイクさんは「僕の奥さんは家畜が好きでここにいるんだよ!でもついでに僕のことも好きだよ」って恥ずかしそうに言う。こういう夫婦関係も憧れますね
まぁ
後姿だけでも北○晶バリにちょうこえーけど・・・( ゚Д゚)
特に鞭を肩に担いでる姿が本当に怖いっす・・・
マイクさんは自分が自分でいられる場所を自分で作り壁に当たるたびにアイディアを駆使して問題を乗り越えてきました。小屋の設計図からヒントを得て、その小屋を建てながら、キャンプ施設と社会教育施設を両立したmixファームを作りました。
今では毎年必ずここへ来るボーイスカウト、ガールスカウトの団体がいます。その他必ずウーファーのOBやOGが訪れます。こういった人たちとの交流は本当に楽しいものです。
歴代のウーファーが集うために、その人が過去に来ていた時代はできていなかったもの、その時に作っていた場所などその当時のリアルタイムの様子を聞くことができますから、このヨートを知ることができます。
基本的にウーフの施設はタダ働きをさせられるものと考えていいでしょう。僕ははずれを引いたことがなく運がいいほうの部類です。ほとんどのウーファーは違法な労働時間(2012年は4時間が限度だった)で働かされていやな思いをするし、その場所に二度とウーファーは行きません。ワーホリビザの一減産を使い捨てるオーナーが多数ですからね。
そんなかでも歴代のウーファーのみんなから好かれるこのヨートファームは本来のウーフの趣旨を反映しているし、小屋を作った人たちの思い入れは色あせることなくドイツやカナダからもたびたびバカンスのたびに訪れる人が多くいます。このボンファイヤーの時もそういった人たちがよーとのこれまでの経緯を話してくれました。こうやってマイクさんからではなくウーファーからヨートの歴史が語り継がれていく。
これは本当二人に愛される場所を作ったから、マイクさんはみんなが大好きだから、マイクさんのことをみんなが大好きと思います。
僕も好きだから。
ガムツリーの歌を絶対にもう一回一緒に歌いに行くから。
今でもガムツリーの歌のコードを書きうつさなかったのをものすごく後悔しているから。
僕は農家といっても今で言う観光農園や体験農園をやっていきたいと思っています。理想はマイクさんの作ったヨートファームやキングスクリークステーションを合わせたような農園って面白いよね。
そんなのができたらいいと思ってる。
こういう場所を作って誰かのための居場所を作れて頼られたら俺はうれしいっていうことに気付けたから今、鳥取で農家やってるんだと思う。
ここには必ずおとずれたらゲストブックに名前と何かメッセージを書いていくことが恒例んなっている。
何ページも何冊も実はマイクさんは持っていて大事に持っている。
今この瞬間もウーファーが訪れて、マイクさんも相変わらずガムツリーの歌を歌ってるんだろうなって想像しながらこの記事を書いてるよ。
日南町では雪が降ったら作物は作れないから、それまでに冬働かなくてもいいくらいの稼ぎを出せるような農家になりたい。
もしこの記事を読んでる人がオーストラリアにいたら、ぜひここへ行ってほしい。
んじゃ、今日はここら辺で。