オーストラリアワーホリに行く前の自分と帰国した後の今の自分~何か変わった?no working holiday! 農 life!!
どうも!ただいま怒涛の一か月が過ぎようとしています。いろいろなことがありました。
農業研修生としての入社式
初めての日本の地方の田舎への移住
人生で初の車を買う!
人生初の中国自動車道をぶっ飛ばす
人生で初のロードサービスを使う…など
とにかく今までのものを変えるために
初めてのこと
をしまくったこの四月。もっともっと変化をしていくことをしないとなと思っていますがいかんせん。・・・結構ばてが来てる島田です!上の写真二枚はオーストラリアのワーホリ時代とこっちへ来る前にジムニーの出発式をしてもらった時のものです。
・・・あんまり変わっていないか!!(爆)
でもまぁ自分が自分らしさを取り戻し始めているのがなんとなくわかってきた今日この頃です。
まずこの記事は僕自身のビオ防鹿的な意味合いがあります。新しい生活の前に(もう遅いけど)自分自身にある種の区切りを付けるための記事を書くということを決めていました。自分自身の人生の第二章に行く前に自分が自分自身に感じた変化を書いておきたかったということだけですが、ヤフー知恵袋とかでは結構ワーホリに行く前に二の足を踏んでいる人が多いです。
やはりワーホリに行って変わったことって何ですか?みたいなことや帰国後の不安、特に再就職に関してのことを不安に感じて行くことをやめたりしてしまう人もいるようです。
そしてワーホリに行っている人のリアルタイムのブログやユーチューブのチャンネルはあるけど帰国後のことを書いているものはないということがある種の悩みか需要があるのか?っていう気がします。かつてこのブログがまだアメブロだったころ、僕がワーホリに行くときに書き始めたこのブログ。今では生意気にワードプレスで書くというところまで来ました。
では僕がワーホリに行って変わったことをつらつら書いていきますよ!
◆ワーホリに行く前はすごくふさぎ込んでいた
まずは僕がワーホリに行く前のリアルタイムの記事がこれ→2011/9月の記事
「日雇い派遣や今までやってきたことは絶対しない。それだけはたしかに誓ってる。」
この言葉を過去の自分が書いてきたことを見ながらしみじみと思い返している。新卒で当時介護の大手だったけど不正請求でつぶれたコムスんに入ったはいいけど入社してからは・・・
・僕の大卒の研修分の給料は入らない
飛行機の赴任手当は入らない
・僕が務めた北海道のきらめき豊平では当時、先輩の夜勤手当や交通費手当が入らずに毎回ホーム会議で金のことでもめる
・僕は仕事なんてやらないで人事部にいつ先輩方の給料と俺と先輩の夜勤手が入るのかと尋ねまくっていたら
「その分夜勤はいったら稼げるよ」
といわれた瞬間に速切れして
ホーム長、俺やめるわ・・・
ということで新卒で入った会社を2.5か月でやめてからは日雇いを転々ふらふらとする日々。新卒で入った会社を辞める時に
同時に8人も人がやめる会社
なんて初めての経験だったと思う。このときから人のせいにして社会に背を向けて生きてきていたんだなって思う。そのまま日々は流れてある種のむなしさが胸の中からこみあげてくるのを自分でかみ殺してい田けどそれがとうとうできなくなってきた。
それは海外への挑戦ということ
僕が25の時、まだ北海道で暮らしていて、交通誘導員をしながらもなぜか英語を習ってた。このままじゃだめだから何かしら習わないといけない!って思ってた。根拠はないけどそのままいたらなんとなくダメになりそうな気がしていたから。出も何やって何を目指したらいいのかがわからなくて悶々としていた。でもある時自分を試してみたかったからオーストラリアに行ったんですよね。
それに海外へのあこがれがあって青年海外協力隊へのちょっとした思いもあったんだよね。でも結果的に、生理的にここに受かることができなかったんですよ(笑)→そのひみつはこちらの記事で
やはりバイトを転々としすぎてやりたいことがなく、履歴書の応募動機が書けなくなっていったんだよね(-_-;)
介護→日雇い(音楽のせてーじ設営、教科書の販売、引っ越しとか)→交通誘導員→スキー場→これをシーズンごとに繰り返すという日々・・・
26歳になる時にこれはいかんということでもう一度介護に戻ってみるけど、自分の中ではこれは合わないということがわかってしまって途方に暮れるという時もありました。
でも新卒で自分がわからないという人は就職活動で自分を企業に合わせるということをしすぎて自分の内側からわいてくる本当のの自分の声を聞いていない、そのまま相手に自分を合わせてそれが自分の生きが意という風に勘違いして生きて行ってしまっているんだなって今は思います。
それじゃ苦しいよね
自分のすべての面と向き合うためにワーホリに行ったんだとも思うことができます。今はね。
でもワーホリに行く前って本当に自分のしたいことかが見えなかった。だからふさぎ込んでニートも同然なこ日々を過ごしていた時期もおおよそ8か月くらいありました。この間は青年海外協力隊に行くために図書館で勉強!持ち英語です。でもそんなに時間を費やした結果は10点しか上がらず320→330というある種のミラクルを起こしてボラバイトに行ったっけ・・・
なんか俺って不幸すぎるのか?なんていう被害者だけどそれでヒロインになれるとか思っていたんだと思う。
◆ワーホリに行っている最中は漠然と企業をしたかった・・・その影響か、ほとんどの職場で一代で起業した人たちとかかわることができた
ワーホリ中は帰国したら漠然と
雇われたくない
起業がしたい
自分おもやもやをどうにか消したい・・・
などと思っていたんです。でも海外で長期滞在なんてしたことがないし、フランスだって一か月しかいなかったし。まして英語なんてできなかった。
それでも自分は青年海外協力隊に受かることができなくて、その埋め合わせで僕はワーホリに行きました。
セシルプレインズでは倒産を二度経験した人が三度目の正直で経営する製材所で、OZ流の闘魂を注入してもらい、不屈の闘志と個々の社長の「なんとなく雇われるのが嫌だから」という理由での起業を尊敬していました。本当に熱い人で人がらは穏やかな人でした。
ヨートファームでは羊の農園を一度倒産させてしまい、そこから形を変えて野外教育施設に形をかえ、本当の自分の在り方を見つけて40歳で起業をしたマイクさんの元、本当に自分がありたい姿でいることの大事さを身を持って教えてもらいました。
こんな感じでいかだを作ったり
ボーイスカウトがきたらこんな感じでレクリエーションをしたり
豚に餌をやったり、時々脱走したこいつらをつか目に行ったりとかしていました。そしてここヨートファームで過ごした人は帰国後に起業をしているという何とも演技のいいジンクスがあるということ。
ここら辺もここが好きな理由です。
ここで製材所から持ってきた安全靴とはお別れをしました。
ひたすらヨートのキャビンを作るという作業をいろいろな人たちとしました。もち英語で・・・
◆砂漠で意識を失うという九死に一生を少しだけ体験する
未だ活で日本で同じ仕事を一念続けたことが僕にとっては一番長く働いたこのキングスクリークステーション。実はここに一生いてもいいと思っていたりもした。
中でもマスタリングはものすごく興奮したし、砂漠でも一世一代でこの場所を作ったイアンに尊敬をまたまた抱いてこの場所に感動していた。この人のようになりたいと本当にねがった。こういった人に比べて日本で農業をするということはぬるいかもしれません。でも僕はこういったばしょがつくれたらなとかないものをねだっていた。
生き方を学びに来ていたこのワーホリにとっては本当に気他界があったと思えた瞬間でした。
あとはテキトーにパースでピッキングしたりケアンズでさらあらいをしていました。ここいら辺は論外です
◆帰国をした後は起業をした。でも企業ごっこだった
いまおもえば帰国してからは・・・
古物商を取ってインターネットビジネスの「せどり」を本気でやると決めて一年くらいやる
でも結局ものが部屋にあふれるのが嫌でやめる
そして記念すべきこととして65万円のマイナスで確定申告したら福祉給付金の通知が来たこと
が新鮮だった。そして企業の塾へはいってもからっきしダメだった・・・このときに売ろうとしていたのが僕のワーホリの体験をまとめたPDFだった・・・その名残がこれ→わーほりのPDF
DLマーケットとかペーパーボーイの・・・電子書籍のところに出していたな…なつかしい
はなっくそも売れなかったけどね(爆)
インターネットビジネスというジャンクなものに溺れて人からお金をもらう二はそれなりの等価を提供しなければならないという大事な姿勢を欠いたまま、欲望のまま商売をした気になって起業ごっこをしていました。
◆ワーホリに行って変わったことは?
なんとなく死生観が育ったっていうことと思ってる。
人生一度きり
ならばやってみたいと思ったことは自分ができるかできないかを度外視してやってみようと思った。
そこからは見栄をそれほど張らなくなっていった。助けてもらわないと本当にダメだから、甘んじて、助けてほしいならそうして欲しいということを恥ずかしがらずに言えるようになったということです。
あとここ鳥取に来てから「ありがとうございます」ということが多くなった。っていうことかな?
あとはとにかく一人でしないということを徹底している。(でもこっちに来て失敗したけどね(笑)
ワーホリに行く前は何も見つからなかった。自分の本心の声を聞くことができなかった。
でも今は自分のその内側から来る声を聞こうとできるしなんとなくそっちのほうへ自分を向けていけるようになった。
ここら辺が変わったことかもしれない。
でもこういったことはワーホリに行かないならできなわけではないからね。
自分の在り方を自分と向き合うことで見つけれたということが今回僕が内省してわかったこと。
だから人生は一度きり、30歳も31歳も一度きり。
怖がるべきことはワーホリに行って帰国した後に就職できなかったら…ということではなくて、ワーホリに行きたくて悶々としたまま31歳を迎えて公開をし続けることを恐れてほしいというのが僕個人の感想。
いったからわかることもあるし、ワーホリに行かないということをしてもそれを忘れるくらいの何かを見つけるという勢いでいきるということでそれを補うということも可能です。
事実僕はワーホリが目的ではなく、青年海外協力隊に行けなかったからその代変え案としてのワーホリでした。
行ったら行ったで後悔する人もいる、行かないなら行かないで後悔する人もいる。
だからじぶんが満足するかどうかで判断してほしいかな。あとはワーホリに依存しないこと。
とにかくその時その時を
俺だってできないなりにやって結局IELTS5.0だったけどね。
でもそのおかげで今があるわけで
no working holiday!
農 life!!
だからいま鳥取で農業研修してんだろうぜ!
その他のコンテンツはこちら↓
———————————————————-
———————————————————-