phaさん主演のノンフィクション後半の感想!生き方に困ってる僕にはグッときました
どうむさん!おめでとうございます!
男としていつかは
「嫁です」
ってドヤ顔で自慢してみたいですね。そしてケーキを食べさせてあげたはいいけど、フォーク差しっぱでした(~_~;)でも幸せそうでなにより!
家族と会社にサヨナラ ノンフィクションの後半の感想です!
ただいま職業訓練に通いながら風邪をこじらせ、グロモントとバファリンAを一日で二日分のむという感じで体を持たせています(笑)
では書いていきますよ!
◆phaさんたちのギークハウスは正直ってスペックの高い人たちと思う
phaさんが一緒に暮らしている人たちは僕から見てひとつの共通点があり、それは
「確固たる自己を持っている」
ということと思います。
ここが正直本当に羨ましく、強い人たちと思うんです。
自分自身で自分を見出せないって悲しいのかもしれない。自分というものを持つとは・・・
どうしようもなくこんな
学校の教育や日本の世間体を気にして相手に武士は食わねど高楊枝的な感じで弱みを見せないでいくことが美徳ということを言われてきたように思えるけど、
・・・やせ我慢は体に毒だと思う。
他人からどう見られるかと世間体の目線に対していいように見せて生きていくと、その世間体に対しての壁が作られ、それが四方をおおっていく。その真ん中に本当の自分というもの器のようなものがあって、それが空っぽのまま時間が過ぎていき、気が付けずに、それに疑問を持ち始めた時にはもう遅かった。
というようなのが今の・・・世間ていうもの?なんかな?あくまで僕の主観だし、これは言葉にできず、肌感覚で感じたものをそれなりに言葉にしてみた。
これが個人的に一番近しい
要は、教育とかでもあくまで他人事を詰め込まれるわけで。誰と誰の戦がいついつのどこであったかとか、西洋の産業革命がいつ起こってヒューマニズムがうんやらえんやら・・・そんなことよりも自分という存在とかを哲学するという学問を取り入れたほうがいいように思う。
自分の器の中に世間という違う液体が入ってきて、働き出したくらいになってなんとなくその水が合わなくて漏れていく。もちろんその器はコップではなく、あくまで本当の自分を世間に晒さないための壁であり、それが丸く四方を覆ったものだから、それがコップに見えたのかもしれない。
その中が自分という、天上天下唯我独尊という自分で満たされないからなんとなく生きくいのかもしれない。それに僕自身も確固たる自分を持っていないということをようやく自覚し始めた。
例えば自分探しっていう旅がある。
これって周りの刺激を求めに行くだけって思っています。かつてオーストラリア、フィリピン、フランスに行きましたがいい刺激でしたよ。
そして起こる出来事に対して自分が動いていくんですよね。それらの出来事というのは大抵問題で、日本人はお金持ってるって未だに思われているから結構フィリピンに行くとたかられてうざい。
そんな中で自分の五感をフル動員してその問題解決していくんです。
なかには自分探しの旅なんて逃げだし、自分は探さなくてもそこにいるだろ!っていうことを言う人はいます。それはそれで正論なんだけど実際には違うって気がする
僕自身は内省とか、大愚和尚さんという人の動画を見ながら「そうだな」っておもったこと、四国の和尚さんと話していく中で感じたのは、心が育たずに、それでいて生真面目な人が多いというのがそもそもの原因かも知れない。昔に比べ、仕事が続かにない、忍耐力がない、ひとつことが続かない。
でもこれは世間的にアウトなようだけど、自分という内面を知らないということが原因。これに気づいたとしても誰にも相談ってできない。世間はその人がもし30歳とかだったらそれ相応の扱いと目でその人を見る。その人の内面なんて誰もわかりゃしない。
なんとなく今の人って心の栄養とか体験が不足しているからやりたいことがないとかいうものだと僕は思ってる。
心の栄養は経験であり、その栄養が人を育てて行くんだと思う。その経験からなんとなくやりたい、やれるけどずっとやりたくない、これだけやりたいとか、そいう属性のようなものが自分で分かっていくのかもしれない。昔で言う、遊べる人間は仕事ができるみたいな感じだろうか。
昔の世代の人達っていうのはこういうことを日常茶飯事てやっていて、この体験や冒険の中で「素養」を育んでいたんだと思う。この素養が今の日本の職人文化を作ったと思うんですよ。特に職人の完成で作るものは数値化とか可視化できるものではなく、見て盗むということ以外にない。
昔はこれで良かったのかもしれないけど今となっては、これが仕事は見て盗むという文化になって競争になってしまっている。
ワークシェアをしている海外とは正反対で、オーストラリアにいたときに思ったことは、仕事のプレッシャーがないということはこんなに生き易いのかって思ったほど。仕事はなかったら困る。でも怠けすぎていたらさすがにクビになるけど・・・
まぁ話を心の栄養に戻すけど、海外放浪であれ、日本国内の放浪であれ、何かしらの刺激ってあるし、それをどう捉えるかはその人次第。その出来事に対して刺激が体内に生まれ、完成が育まれていくということ。これが非常に大事。
こういった感性が鋭い人たちがギークハウスには集まってるんだなって僕は思います。その体験がいいことであれ、悪いことであれです。
特に僕が大卒で最初に入った介護の会社では給料未払とか、払われていない分の給料を夜勤は言ったら稼げるとかわけわからんこと言われたり、三ヶ月目でやめた月に事業所の人たちが8人一緒に辞めるとか・・・
こういった経験から会社組織というのがなんとなく億劫になっているというのが正直な感想です。だからバイトでいると気が楽なんでしょうね。かと言ってフルタイムのバイトは嫌ですけど(^_^;)
ギークの住人の人たちは、自分の価値観で生きてるし、それでいて他人に迷惑かけずに生活してる。phaさんはあそこのギークハウスに光を灯して人を助けてるいい人って思う。と自分と同じ困った人と助けてるってそうそうできない。しかも緩くて穏やか、素朴で優しい人。
フリーランスの人たちだから正直すごい人たちだし、「自分を生きてる」人たち。僕もあんなふうになれたらって思いながらこのオンエア見ていました
◆phaさんの優しさが好きです!生き方の多様性をお互い肯定し合うギークハウスの人たちは正直言って尊敬しますし、やっぱり自分に素直に生きてるところがやっぱりいいです!
銅蟲さんがずっと漫画を書いていて、ようやく連載を勝ち取りました!飯にしましょう・・・ってか、銅蟲さん・・・まさか!!そこのギークハウスにいたなんて!!(^_^;)っていうなんか狭い世間を感じさせた放送。意外につながっているんだなって思った。
個人的にギークハウスって誰かしらが何かを持ち寄って集まる楽しい場所って思います。それは知識でもなんでもいい。知識しかなくてもその時に集まった誰かしらがそれを具現化してくれることでその人も何らかの刺激があるし、その人も知識を持ってるだけではなくて、そこからの進展がある
phaさんのギークハウスとか、僕がいった和歌山の共生舎って誰かが何かしら知っていたり、持ってるものが集まって科学反応をしているように思える。もともと誰かが持ち寄って集まってわいわいがやがやるって昔の日本の暮らしと変わらない気がする。
今時にその暮らしが表されたとしたらphaさんが作ったギークハウスっぽくなるんだろうなって思う。
孤独が人を蝕んだり、孤独が人を自殺とかにも追いやってしまうのも事実。僕の友達で死んだ奴だっているし、四国でお世話にお坊さんもそういう人たちを引き止めたり、引き止められなかったりして、結局は孤独が悪いっていう。
なんか孤立するような環境が整いつつあるのが今の世の中って感じています。
特に道を聞くって一番人と話すきっかけになるんだけど、最近は「地図アプリで検索すれば?」って冷たくあしらわれる。(あしらってるとは思わないけど(笑))
なんでも検索っていう方法で過ごせば下手したら人と一言も話さないで一生を過ごす時代すら来そうで僕は怖い。攻殻機動隊の念話みたいに・・・
孤立したら、孤独になったらホームレスになるか家の中で孤独死しかない。人が分断されてしまいやすくなった現代においてはphaさんがつくるギークハウスって必要な場所って思う。
ギークハウスごとに違いはある。ツイッターで結構ギークハウスを運営してる人は言ってたけど、ギークハウスのイメージがすべてテレビで放送したような物っていう理解が広まったら困るっていうようなツイートだ。間違ってたらごめん。タイムラインで既に流れてもう分からないから。
このギークハウスを最初に作ったのはphaさんだし、そののれんを後から作った人がつかってるわけで。それはそれで広めたもんがちみたいなところがある。バリバリのコーダーが集まったところとか、それほどインターネットは好きじゃないけど気の合う人がいるからそこにいるみたいな。
人の集まりの特色自体が違うからギークハウスの多様性もいっぱいある。
こればっかりは自分で言って確かめてくださいっていう感じ。「べき」というような、ひとつの答えに個室して論破することに趣をおくひとは行くべきではないとか思ってる。受け取り方も十人十色だし。
phaさんもバイト始めたっていうところが写ってたけど、仕事を誰かのために作ったりするって僕もしたいって思う。僕も仕事と生き方で困ってるから。
履歴書のブランクを指摘されてその言い訳を、つじつまを合わせる面接に疲れているし、出戻りって何度でもしてもいいような、個人の生き方を応援できる組織が、働く場所が作りたいって思ってる。それでいてphaさんのギークハウスっぽい自由度とそれなりの希薄さがある場所がいい。
協同労働組織が今のところイメージが近い。個人の生き方を応援できる大人の居場所っていうのが僕の今のところ理想。
個人的に会社に勤めるというイメージの悪さの原因としては
上限を会社に制限されたくないという個人的な・・・欲望?がある(笑)
それは「時間」と「収入」の二つの点だ。
週3の交通誘導員の求人広告に応募したことが北海道に住んでいた時代にあり、その時の面接でのやり取りが未だに忘れられない。自分は小さいやつということを感じる時がたまにある。
そのやりとりは、求人広告では週3から応募可能という広告だった。いざ応募して面接に行ったら、フルタイムで働けって言われたこと。
その時にずっと引っかかってるのは、男ならフルタイムで働けと言われること。それに結婚もできないって言われたし。しかも時給800円の交通誘導員。
何をどうこちらが週3で働くということを言ってもあっちは理解しないつもりで掘り下げる質問をしてくる。こういう社交性というか狡猾な質問のやりとりで僕は必ず勝てないし負けてしまう。
どうすれば相手に自分の自己主張を認めてもらえるのだろうか。ずっと今も考えている。
まず、僕の思いとしては、フルタイムでそんなところで働いたら結婚のお金なんてできないし、そんなで結婚なんかしたら貧乏にしかならないことって目に見えてる。面接官は指輪していたけど、ストレスからくるタバコの臭い、それが体臭とも区別がつかなくて、歯もヤニで汚い。そんな姿になるという未来がいま面接で見えてるのにそんな道を選ばん!!っていうこと
こんなだったら、週3とかで月8万でいいから(残業しないといかないか・・・時給800円じゃ)その空いた時間で自分のサイトとか副業を育てたいって気がする。フルタイムで働いても15万位にしかならない。
それなら会社に束縛される時間は170時間強で収入は15万。この二つを上限を制限されてしまうことになる。しんどい事この上ない。
会社に収入と時間という上限を拘束されるよりは最低限の時間と最低限の収入を得られるようにささやかな拘束で働きたいとか思ってる人間でもある。
こんな感じの考え方なのでphaさんの考え方には共感できる。
ヤマトがアマゾンの配送から撤退して個人の配送業者をアマゾンが囲ったという新聞記事を満員電車のなかでみた。その時に僕はこう考える。
正社員を給料分こき使わないと元が取れないと言わんばかりに仕事のノルマを押し付けると欝になったりとかして結果会社の正社員がいなくなって生産性が落ちる。
だったら、それほど働きたくない人たちで一人分の正社員の仕事をワークシェアしたら誰もうつにならないし、正社員を雇う時に発生する社会保険料もない。それでいて配送の荷物量や業務に支障がないならそれでいいとか屁理屈を思ったりする。
そしたら雇用統計で失業者が減るからいい方に行くと思う。
そのワークシェアの仕事で足りないならもう一つ別の副業を育てたらいいと思う。別にパートだし、それで個人所得が増えるなら個人消費だって増える。そうすれば多少なりとも景気が良くもなってもいいんでない?
しかも鬱とかの精神にかかる医療費は削減できそうだし(笑)
ああ、話戻そう・・・
僕はphaさんのような考えに近い。それにphaさんのように生きていけたら・・・・って思ってる。今は職業訓練に通っているけど、実は本の中でphaさんも職業訓練でプログラミングを覚え直したみたいなことを書いてるから応募してみた。
何度も給付金の延長目当てで通ってる人たちもいる。なんで職業開発をしてなお、開発できていないのか?それだったら職業能力開発訓練センターの意味ないじゃん(笑)
今は自分の自己満足できるものを作りたいから通ってる感じ。でも過去に侍エンジニアとか、挫折していて、その時に比べたら今の学校は本当によくわかる。
プログラミング覚えたら・・・ホッテントリメーカーみたいな何か作って広告貼ってみよう。(笑)
phaさんみたいな収入を得られるように職業訓練頑張る!
今回のノンフィクションは生き方のモデルには十分すぎる内容でした。
フリーランスの生き方にもっとスポットを当てて欲しかったっていうのが本音でもあるけど。
来年のニートの日までなんとか生き延びよう(笑)
やっぱりphaさんは僕にとってのチオビタです!!(笑)
すいません、ただ書き殴りたかっただけです・・・すいません。
ホッテントリみたいなやつ作ってみたい・・・・そんなでまだまだ職業訓練は続く。。。
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