四国の佐多岬をフラフラした話その2プログラミングの職業訓練の目標ができる
とうとう一週間も更新しないでいてしまった。
それと今は職業訓練に通っていて、そろそろこのギトギトしたコンテンツのブログを整理しようと思っている最中で、ワーホリの話とか、それはそれでカットアウトします。未だに問い合わせがあったりしてちょっと面白いんだけど、なにせ僕が投稿していたのはもう5年も前の話だからあんまり宛にしないで欲しい。すいませんけど(^_^;)
5年の歳月で情報やオーストラリアの仕組みや状況はかなり変わっているからリアルタイムの人たちとのFBコミュとかですり合わせをして欲しい。それこそが一番確かに信じれる情報だからさ。
まぁ、あとは今通っているwebクリエーターの職業訓練の制作課題としては、僕はサイトを作ってそれをポートフォリオにするという目標があります。元々はこれが目的で通いだしたものだから。通いだしてみると以外にフリーランスの人がスキルアップのために通っていたりする。
なかなか面白い収穫がるので僕も結構面白いし、もともとプログラマ系の通信講座とかは受講して挫折して、アフィリエイト系の情報商材は見て、グローバルカラムを入れるのに3週間かかったという本当にプログラム音痴の僕だけども、目的を持つことでここまで吸収力に差が出るということに我長ならびっくりしているところ。目的なくして吸収はできない問いうことを体感している最中
今年の年初めほど最悪な年はなかったな。それでもなにかのヒントを四国の松山と和尚さんはくれました。そのときは、「それでなにがどうなるんだよ」とか正直スレた部分はありました。でも半分はなにかないかな、とか手がかりを探すことの考えの入り混じった本当に言葉にし難い感情が噴出しまくっている自分でもわけわからない状態でした。
そんな中でも少しだけ僕を落ち着けてくれた佐多岬の海
ほとんどギャラリーですが載せてきます。
前回の続きを、では
◆佐多岬の灯台を目指していく
なんでか僕はここ四国の佐多岬にまた来ていたわけで。
もともとはこの四国にはお遍路ハウスという企画があり、その説明会でこの企画を知り、そしてその企画の説明会でこの四国のお坊さんのことを知りました。当日はアポイントメントなしでただ寺の前にたっていました。
なんか助けて欲しいから立ちすくんでいました。
今思えばまったくもってありえない話ですが、そんな僕を優しく受け入れてくれ、過去養女にしたという肺がんや夫の暴力で心身ともにボロボロになったという一つしか年の違わない女性がいました。化学物質過敏症で日常生活が送れなくなったという不幸を背負った方でした。
学歴はアメリカのカイロプラクティックの学科を卒業したという高学歴にして英語がペラペラな才女のひとでした。
この人の最後に息を引き取る間際のDVDを見せてくれたり、ブッダの生涯を描いたDVDを見せてくれたりと、ただ訪ねてきたという見ず知らずの僕に対して優しく接してくれて、話をただ黙って聞いてくれて、僕は孤独だからということをで和尚さんが愛媛の松山に来てから縁を作った人たちに合わせてくれ、縁を紡いでくれました。
とにかく僕には縁が必要だと。
そしてこの佐多岬にきた理由は特になく、僕が来ている間も和尚さんは急に法事や葬式が入ってしまうという多忙ぶりで、一緒に時間を過ごすことができないので、一人できました。ちょうど車できてよかったです。でも車できたからこそ移動ができたという強みもあります。
和尚さんが育った岬に行き、和尚さんの心の痛みや傷にも触れさせてもらいました。見ず知らずの30すぎの男にここまで心を開いてくれるってまずないですからね。
でも僕には何もなかったし、どうしようもなかったから。
ここの松山では結構不幸と戦ってる人たちと和尚さんは僕を合わせてくれたし、その度に、「何が変わるわけではないけどなにかのヒントを掴んでくれないか」って叱咤激励と僕は取りました。でもどうしていいかが正直言って今もわかりません。でもなんとなくのヒントだけは探しつつづけているというのがげんじょうです。これでいいのかな・・・
そのおかげで職業訓練という選択肢を見つけれて、今に至る。
今でも行き場所なんてないのにどこにも居たくないっていう僕の内面に自分自身で葛藤を抱いている。これがジレンマで仕方ない。
またいつかは、というか、この職業訓練でサイトをの制作ができて、バリバリのコーダーではなくて、サイトの運営ができることやマーケーターみたいに慣れて、多少の経済自由ができたら、また松山に行って和尚さんに会いに行きたいと思う。
このときに和尚さんもまた北海道や四国以外の場所から自殺したいっていう人たちの相談に乗っていて、わざわざ電話で話すというのも1対1で深くかかわれていいのだけれども、それよりも掲示板を作ってもっと多くの人達と会話できるようにしたいって行っていて、パソコン三台買ったけどPCに疎いし、月々のプロバイダの料金が高いから未だにできてないとか
だからせめて今はプログラムでHPを作る訓練をしてるわけだから、和尚さんのために掲示板のサイトを作れたらそれなりに恩返しなんじゃないかって思う。
いまだはそれには程遠いけどね。更新の新しいページを持ってくるif構文とか、条件分岐がはなっくそもわからないというこのざま。来週からいよいよHTMLの分野に勉強が入るけど、正直これは復讐をする程度で僕は既にJqueryに入っている。後はHTMLにどうやって反映させるかを勉強し始めている
なんかHTML5にしないと導入ができないようだくらいにしか分からない。
とにかく掲示板は自分がプログラミング出かけないならレンタルの掲示板でもいいからインストールして和尚さんに連絡するって決めてる
そんなことをぼーっと考えながら佐多岬をぼーっとしていたっけな。
ここの海ってやっぱり浄化作用が有るようだ。肌感覚でしか感じれなくて言葉にできないけどね。ここの入口のみかん売りのおばちゃんがいってたね。(二回目かもね)
このおばちゃんはなんか海辺じゃないと生きれなくてこの海を見てると何かしらのアレルギーが治るんだって。話を聞く限りはハウスダストかもしれない。それか多少は化学物質アレルギーがある人かも知れない。
ここの潮風に当たって生きていたら医者からその病気が治ったって言われたって言ってた。それが本当かはわからないけど絶対にストレスからくるなにかだって思ってた。この話が胡散臭いなら実際にここに行ってみたらいいよ
話は佐多岬に戻して進めるけど、ちょうど、この岬も戦時中は日本兵が警戒していた場所
一旦キャンプ場に戻って、細い道を抜けて山を登り、アップダウンを繰り返すと灯台にたどり着く。途中にここに住んでる猫に出くわした。何やら体中がおかしい。。。
どことなく血が付いていたり、僕見たときは出血していた。そして耳が片方無いというか、絶対に何かにかじられてなくなったようななくなり方?っというかかじられ方と言ったほうが正確な欠け方をしてる。それに野生の野良猫なら人が近づけば逃げるけどそんなに早く逃げない。猫にしては鈍重というかにぶすぎるくらいに遅い。
今の僕が全力疾走をしたら簡単に追いつくことができるくらいに弱っている
どうやら灯台に住んだりこの地域に住んでいるカラスについばまれているようだ
正面から撮ったけど結構接近してる。
計画するけど逃げる気力が相当なくなっている。出口のみかん売ってるおばちゃん曰く、この子はお気に入りなんだけど最近見かけなくて困ってるって言ってた。
入口までの上り坂を上る気力がカラスにつばまれてないと僕は見ている
それくらい猫の反射速度が鈍かった。
カラスってすごい凶暴だな・・・
灯台へは行けずに、灯台から少し離れた戦時中に兵隊が監視していたという洞窟の近くに有るレリーフ?のようなところから灯台を撮ってみた
そして灯台への道のりは写真を参考。(順不同)
途中バイオハザードの最初の作品で六角クランクを使うために必要な中庭のはしごを降りていくような場所の地下の貯水池があるけどそんなところを歩いていく。昔は真珠か何かの養殖場だったようだ。
ちょうどこんな感じで灯台が見える。
ちょっとした円滑着の場所っぽい
・・・眠いからまた続きは今度
それと雑記部分を残してワーホリ帰国後のブログにしてワーホリに言っても将来大丈夫っていう趣旨のブログで始めたはずだから、その趣旨に則ってブログの整理を今年中くらいにします
そしてそのスピンにオフ的なサイトを自分のポートフォリをにしようと思っています。
徐々に精神が回復してきているようなそうでないような感じなのでぼちぼち不安定的に更新していきます
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