I'z log ~イズログ 人生をイージーモードに

雇われすぎず、働きすぎず、食うために生きない。生きるついでに食っていこうよ。だって腹減るじゃん的な生き方をするブログ

【30代季節ニートが悩む生き方】「自」らに「由」れているのか?「自由」になりたいならどうするか?リゾバや住み込みの働き方に依存するのは自分の目指す生き方だろうか・・・自分の行き着く状態を考える

はてなブックマーク - 【30代季節ニートが悩む生き方】「自」らに「由」れているのか?「自由」になりたいならどうするか?リゾバや住み込みの働き方に依存するのは自分の目指す生き方だろうか・・・自分の行き着く状態を考える
[`google_buzz` not found]
LINEで送る

どうも、イズです。

 

今日は「自由」について考えてみます。そしておそらく今までの僕の問題の本質なのではないだろうか?という部分に迫れそうで迫りきれていないという気がしています。

 

そろそろ来年の目標も立てないといけません。来年の目標のを達成するためのベースになる気がしますのでただつらつら僕なりに気づいたことを僕なりの理解で書いていきます。

 

 

自らに由るというのは自由であること。でも世の中でもてはやされている「成功」というものではないと思ってる

 

 

ちょいちょいyoutubeでお坊さんが発信している動画を見ることがあるけど、その中で自由という言葉を取り上げている動画がありました。その内容は結構衝撃で(俺なりにね)「自由という言葉は仏教のなかにある言葉」というような内容を冒頭でお坊さんが言っていて、仏教的な意味を解いてくれていた。

 

自らに由るという意味で自由

 

このことをボーってみていたけどなんか自分には刺さる何かがありました。というのも、ようやく自分というものの本質って?っていう疑問が出てきてそれを結構ぼんやりと考えることが多くなってきている自分に気づいてきていました。

 

そのお坊さんの動画の後にガチンコザホルモンをなんでかみて、ちょうどメンバーの再審議をしているという内容。その中で亮君は「自分の暖簾があるのかどうか」という事をくり返し言っていました。マキホル2号店のメンバーの二人はアーティストではなく一般人。アレンジとかミュージシャン的なことがプロのレベルでできないっていう感じのことを亮君は言っていた(ような印象を俺は受けました)

 

そして自分の「暖簾」があって欲しいし、2号店が拠り所になってもらうと困るといっていて、その「暖簾」も自由という意味と同じだなって感じました。

 

 

「依存する」ではなく「自分に自分が由ることができるのか?」っていう部分。ガチンコザホルモンの番組を見ていると「兼業で出来てるか?」っていう感じで見てしまうけど、本質は違う。

 

今時のフリーランスになれるかどうかの専門性があれば「自由」なのか?

 

それでいい人はそうかもしれないけど本質は違う。

 

専門性がなくなればその人は干されてしまう。

 

 

他人に左右されることなく、自分で全てを決めて生きていくこと、自分の責任において・・・・

 

 

自分の実現をしたいことを自分で実現するために必要なことを自分で身につけていかないといけない。

 

 

仕事に困らないことなのか?お金に困らないことなのか?

 

 

おそらくそうではないのかもしれないって思っています。

 

 

暖簾、すなわち自分の本業のようなものって思います。マキホル2号店のメンバーは自分の活動の拠点があり、そのついでというような感じで2号店の活動をしているように思えます。この企画を起爆剤にして個人でブレイクをしていった人たちです。再審議の二人を除いては。

 

 

この企画を見ると、亮君は親心ある!って感じました(笑)

 

 

これらを俺に置き換えたら・・・

 

 

 

住み込みのバイトだけしか続かない⇒家から通う、定時出勤、定時退勤とか残業とかをしていくということができません。

 

結局飽きてしまうから

 

でも仕事という面でずっと迷ったり、困ったりしています。自分の思う生活ができずに仕事に囚われてしまう。

 

住み込みで働くのは、最初の頃は移動が楽しかったり貯金ができてそれが嬉しかったんですが、最近はちょっと違います。もうルーティーンにしたいなって思ってきています。

 

 

今年はコロナで愛媛県のみかんアルバイターへは行けていません。

 

去年のみかんアルバイターで一つ、お世話になった農家さんに言われたことがあり、それが印象に残っています。

 

「ここが行き着く場所ではいけない」

 

向かいの農家さんの家にはぎりぎり59歳くらいの、通称仙人と呼ばれるアルバイターさんがいました。でもこの仕事を追っていく生活を、仕事に振り回される生活を一生していきたいのかという自問をしてみて、それはちょっとなと思います。かと言ってまだ俺は大丈夫とか思っている自分もいます。大丈夫ならのその理由を言ってみろって自分に突っ込むんですが、その理由が出てきません。

 

なんか俺って自由ではないな、って気づいたんですよね。

 

そろそろ生活だけするよりはなんか一旗揚げて三日っていう感じになってきました。だから家を買ったんですね。今振り返ると今まで起こってきたことは今の判断をするまでに必要なことだったのかもしれません。ストレスが溜まって小さな噴火を繰り返して今に至る感じです。

 

 

自分の困り事を解決していこうとようやく思えてきたんですね。これが自分の本質なのかも。

 

 

行き着く先は自分であること

 

今の僕の問題としては収入源のタイプになると思う。あとは家という場所、あとは一人で全てをするということはできず、目的や目標をともにできる人たちとのつながり。これがかけていること

 

 

自分を拠り所にすることで自由になれる

 

 

早くこれやんないとな。

 

 

これをするにはまだ働かないとね

 

 

work is part of life

not all of life

ライスワークとライフワークのバランスを取るために二足の草鞋を求めてまだまだひた走ります

はてなブックマーク - 【30代季節ニートが悩む生き方】「自」らに「由」れているのか?「自由」になりたいならどうするか?リゾバや住み込みの働き方に依存するのは自分の目指す生き方だろうか・・・自分の行き着く状態を考える
[`google_buzz` not found]
LINEで送る

  • 大分の先輩 より:

    >そろそろ生活だけするよりはなんか一旗揚げて三日っていう感じ・・・

    一旗揚げて三日って言うのは
    三日天下みたいな意味ですか?

    小便器顔は最高ですね

  • 本人 より:

    みっかの間違いだよ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です