【自分なりの生き方】「働きたくない」では始まらないからわらしべ長者のわらしべを見つけに行こう
どうも、イズです。
ようやくソトゴモリぷれいすもプレオープンしました。
→プレオープンの記事
いやぁ~長いですね。
2020/7/30 物件購入
それまでは東京-大分を2往復しながらも一番欲しかった場所の大分の物件を買うことができませんでした。二回目に大分に行く前に0円物件というものに手を出しました。それが秋田にあり、秋田の物件の交渉がドタキャンになったことで電話があり、秋田にとんぼ返りしました。
そこで買ったのがこの家です。となりの製材所からは結構気にかけてもらっていて、この間は製品にならない規格外品でしたがめちゃくちゃ綺麗な壁材をもらいました。
そのおかげでいい匂いになりました。近所付き合いって大事だって気づかされました。お返しにビールの箱を持って行きました。
いやぁ~、ほんとにわからないものですね。すべてが。ここ、秋田県は五城目町はおよそ人口は9000人です。ここへ来てから移住をすべき土地の条件というものが肌感覚で分かってきました。といっても全ての都道府県の田舎に行ったわけではないのでそこらへんは肌感覚で決めたらいいと思います。
さて、今回は「働きたくない」関してです。
かつての俺も働きたくなくなったことがあり、今でも断続的にその働きたくなくなる衝動にはかられています。
しかし、それでは始まりません。商売や起業ができれば別に心配はいりませんが、ホリエモンや家入一真のように会社をお越し続けるということができませんので(^_^;)
俺なりの結論を書いていきます。
仏教の影響は受けています。過去を振り返って「わらしべ」はもしかしたらあるかもしれないし、ないと判断したら「わらしべ」をつかみに行こう
さて、写真は昨年の富良野JAヘルパーリレーです。
大学を卒業して一発目で給料未払や先輩方の夜勤手当やら交通費やらの請求をしていたという経験、そして3ヶ月でその会社を辞めたことがあります。これは未だに社会で生活するということにおいての原点になっています(笑)
要はトラウマですね。
入って3ヶ月で最高裁に解体命令をだされたコムスンという会社に勤めてしまったがために経験したことでした。確かになにかがおかしいところでしたよ。
ただそのあとは日雇いやら交通誘導員やらリゾバやら・・・
いろいろ経験してきました。
その中で働きたくない、でも働かないと生きていけない・・・
もう履歴書書くのは嫌、面接も嫌、志望動機を書くのも嫌,ずっと定年まで同じ場所にいるのもいやetc・・・
あとは何がいやって、アフターファイブを縛られるのが嫌。
例えば「○○社の社員らしくないぞ!」とか、過去にFBで上司の友達申請が来ると困るとか(笑)
何かしら仕事が終わったあとも、面目を保たないといけないようなやつです。別に仕事中じゃなければアフターファイブは江頭2:50のような人がいてもいいんです。大抵は仮面とか顔を隠して南下してると思いますが。
あり方を限定されるのが正直嫌というのが俺の結論です。
会社の所属をダウンロードして、役職をインストールしてアイデンティティもそれにしてしまうというのは正直なんかな、って思うからです。
俺は俺でいたいってだけです。
ただ、それでは何も始まりません自分の傾向とかを観察して、その中から何かを見出して行かないといけません。
「わらしべ」を必ずなにかしら掴んでいたんです。俺も。。。
そのわらしべとは「仕事」という事への向き合い方です。
結構何度も書いていることですが、2007年3月に記念すべき大卒一発目の就職が決まりました。それは今はなき介護大手コムスンという会社でした。
そこでは初めて給料未払、先輩方の交通費や夜勤手当の未払もあり、殺伐としていたことを覚えています。しかも辞めると決めた次の日は労働基準法の総則から14章までを会社のコピー機用紙を片面印刷で全て印刷してやったことを覚えています(笑)
自分がやめた月は実は俺を含めて8人がやめており、「え?あなたも辞めるの?」というような感じで盛り上がって打ち上げしました。
そして俺がが辞める2週間前にエリアマネジャーという人が引き止めに来たけどその後俺よりも早くそいつがやめたことにいらだちを覚えていました。
世間ってこんなものか・・・・
今は38ですが、これがきっかけで俺の生き方に影響を及ぼしました。
そして仕事に対しての一本の明確なものとして
ハロワなどで検索するとき、「雇用期限の定めあり」
という種類の求人を検索していました。
大学時代は仕事を辞めてはいけないという強迫観念がありました。特にずっとやっていた野球をやめたということが結構大きかったです。
絶対に人間関係に飽きてしまうのでやめたくなってしまうんですよね。
辞めるということを上司に言う時にもタイミングとかいろいろ気を使うからこれにも疲れました。だから最初から「やめることが決まっている仕事」を選ぶようにしました。
自分の中にもわらしべはあり、
- 農業バイト
- スキー場のバイト
この二つだけはやろうと思うし出来てきてはいます。そしてそれほどもt目られないということがでかいです。
そしてもう履歴書を書くのが嫌なので派遣に突っ込んでもらうという手法になりました。これなら自分のイヤを回避できますからね。
なので俺にとってのわらしべはスキー場のリフトスタッフと農作業バイトということになります。
過去日雇いを転々としてきて、そこそこ楽で簡単な仕事で時給が1000円を下回らないという条件を見事に満たしたからです。ただ農業バイトにかんしてはユイメという会社を使ったことが一度だけありますが、給料の振込手数料が600円も取られるということに驚いていました(笑)
農業バイトに関してはひどい履歴でもそれなりにとってくれるのでハードルは低いです。特に派遣よりは直接履歴書出したほうが採用される確率高いです。
そしてこれらをつないでいくと働こうと思えば通年働けるし、今のところはスキー場バイトから帰り、もし家のリフォームでお金がなくなれば農作業バイトに行くというスタンスです。およそ130万くらいでリフォームも物件購入もやりくりする感じです。
仕事やりたくないと行っていた俺でも今まで家賃のためだけに働いてきてこの二つの選択肢が残りました。
いずれも住み込みというものですが、これが手元に残ったわらしべになります。
これらを軸に自分の収入を作っていくという戦略を作り、一つ一つを体現していくということをこれからしていかないといけません。落ち込んでいた時に体力までも低下していたようです。なのでまずは体力をつけるとともに体重も落として、体調を整えていかないといけません。体重計ったら95キロに戻っていたんで(^_^;)
自分にとってのキーワードは「雇用期限の定めあり」ということが内省をして分かりました。
じゃぁ、これを軸にして同展開していくの?
一応、今のソトゴモリぷれいすの物件は冬場は水道い管が凍るということが確定していますので冬はいられません。かと言って屋根の雪を下ろさないといけません。これらの不安を解消するのにやはり自分の中に自走式の収入源を作る他ないということが結論としてあります。
いろいろ自分でも自分で買った家から離れずにやっていきたいです。しかし、家持で出稼ぎというのはなんかここに住んでいるという気がしません。もう少し踏ん張らないといけませんね。あとは流石に秋田でシェアハウスあるよって言っても人は来ませんね(^_^;)
だって結構遠いもん。。。
なのでここに来れば必ずこれが実現するという強いストロングポイントがなければいけません。今度はそれを作っていくということをやっていかないとですね。
スケジュールとしては
12月から翌年3月 スキー場
貯金を切り崩しつつ家のリフォームと自分の収入源を作っていく。
という作業をずっと繰り返していくというシンプルな感じになります。途中でいろいろ資格は取ると思います。
さて、何がひっかかかるかはお楽しみですね。
最新のソトゴモリぷれいすの状況はサーポートの屋根部分の単管パイプをつけています。
足場を全てモルタルと庭石で固定して固めて垂木をとめ、その上に途端を買ってきて一旦外は終わりですね。
あとはブログと動画も貯めないでぼちぼち更新していかないとな。。。。
都会の暮らしに疲れた人
引きこもった状態がつらい人
生き方で悩んでいる人
ブラック企業で磨り減ってしまった人
そういった人たちの人達のための何もしないをやりに来る場所、「ソトゴモリぷれいす」を作りたい・・・
ただいまプレオープンしました!
内覧連絡はDMで!2022はしまいずが出稼ぎに行くので10月までです。愛媛の選果場はなんと落選しましたので期間は伸びるかもしれません(^_^;)
修正加筆です→【ソトゴモリぷれいすプレオープン!】8/4からプレオープンします!リフォームから3年・・・ようやくプレオープンをします!ブラック企業勤務に疲れたすり減ったら何もしないをしに来ませんか?ソトゴモリぷれいすへの行き方と概要です: https://t.co/Ju83LNoxDT
— しまいず 季節労働者+ニートや辛い人のためのソトゴモリプレイス発起人 (@shimaizu33) August 14, 2022